大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

野球

長嶋監督のもとに集った名選手たちの姿に

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長嶋監督の野球教室に集まった元巨人の選手たち
前列左から中畑氏、長嶋監督、松本氏、後列左から角氏、篠塚氏、定岡氏、元木氏
                            週刊誌フライデー引用

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 私にとっては、久々に嬉しく、元気をもらえそうな記事を週刊誌「フライデー」に見つけたので、著作権も考えずに添付してしまいました。

 長嶋監督の下で一緒に練習して、一緒に優勝を目指した懐かしい巨人のメンバーが、病魔によって後遺症を負い、80歳になった監督とともに、監督の出身地千葉県佐倉市で開催された少年野球教室で子供たちに指導したとの記事です。

 長嶋監督の魅力は私が語る必要もありませんが、現役を引退しても巨人一筋で指導し、「地獄の伊東キャンプ」など選手と一緒になってグランドで汗を流し、カンピューターと言われても、選手を信じて起用した監督と選手の絆を改めて感じさせられました。

 最近のプロ野球は、選手の価値を年棒によって評価し、好きでもないチームにドラフトで入団し、活躍すればより待遇の良いチームに移籍して、優れた選手はアメリカの大リーグに渡っており、私は夢も希望も感じられず、子供の頃から大好きだった巨人も、桑田選手や清原選手の扱いや、一浪してまで巨人を希望して入団した元木選手がトレード要員にされて引退した頃には大嫌いになりました。
 ちなみに、定岡選手も球団のトレード話を断って引退しているのですね。

 そんな中で、長嶋監督と一緒になって活躍した選手たちが、長嶋監督とともに少年たちに野球を指導する姿と、横浜の監督まで務めた中畑選手が、長嶋監督の一番弟子として参加したことに、同じ学年の同世代としても嬉しさは隠せません。

 長嶋監督の人柄もありますが、存在そのものが周りを明るくし、一流プレーヤーとして活躍した名選手が、揃って集まって地域貢献している記事を読み、久々に心温まる一日となりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 2842歩 間食あり
                                    11月28日の一言

愛知県から愛工大名電が甲子園へ

 第94回全国高校野球選手権大会の愛知県大会では、昨日に岡崎市民球場で決勝戦が行われ、延長戦にもつれ込んだ接線の末に、愛工大名電高校が東邦高校を下して、5年ぶり10回目の夏の甲子園出場を決めました。
 
 試合は8回まで東邦が2点をあげて一方的にリードし、2日間温存した東邦のエースに名電はヒットも出ない状況の中で、最後の9回の連続安打で無死二、三塁とし、投手の暴投により2点をあげて同点とする綱渡りのような試合でもありました。
 
名電 こじ開けた扉
東邦 すり抜けた夏
 
 昨年の愛知大会決勝戦は、連投の浜田投手を温存して甲子園を逃した名電だが、昨秋の神宮大会準優勝から春の選抜8強入りを果たし、浜田投手は高校ビック3の投手と評され全国から注目を集めていました。
 
 一方で、東邦のエース丸山選手は8回まで完璧に名電打線を抑えており、自分でも「8回まで完璧な投球だった」と語り、9回の2点は自分の2度の暴投によるものだけに、目前の甲子園を逃した悔しさは尋常ではないと思います。
 
 さて、我家の3人の息子達は全員が愛工大名電の卒業生ですが、甲子園行きが決まったら寄付金を出すと三男が公言しており、仕事の休みと重なれば甲子園へ行く気満々のようです。無関心な長男と、第三者のような次男とは好対照です。
 
 我家の息子達は全員が中学時代に陸上選手でしたが、走り高跳びで高記録を出して陸上部の監督から誘われて入学した長男と、借り出されて出場した相撲の成績から相撲部監督に誘われた次男に比べ、三男は誘われる事もなく、選抜大会優勝直後の20倍を超える入試に挑戦し、身体が小さい事からハンデを克服するために自転車競技部に入り全国を目指しました。
 
 全くの個人競技の走り高跳びと、少数の団体戦と個人戦の相撲。個人競技ではあるものの、集団で練習し、競技も風よけの先行と連携してゴールを目指す自転車競技とのそれぞれの特性が、そのまま息子達から感ずるのは私の身勝手な感想かもしれません。
 
 私も議員になってから縁遠くなっていた高校野球ですが、息子達がお世話になった高校の甲子園出場だけに、仕事の合間を縫ってでも観戦したいと思います。高速道路で2時間もあれば到着する距離にあり、四国遍路に出かける気力があれば、十分に可能でしょうが、気力を出すには仲間が必要なことから、近隣の方々の同志を募りたい心境です。
 
                                    7月30日の一言
追伸
明日も朝から愛知県のボランティアコーディネーター養成講座が開かれます。

今となっては懐かしい高校野球に

 全国から高校野球の熱戦の模様が伝えられ、愛知県でも本日準々決勝が行われ、愛工大名電をはじめ4校がベスト4に名乗りをあげ、28日に準決勝、29日に岡崎市民球場で決勝戦が行われます。
 
準決勝 28日(土) 岡崎市民球場
  東邦 x 西尾東 [10:00開始予定]   豊田西 x 愛工大名電 [12:30開始予定]
 
高校野球 愛知大会 準々決勝の結果  http://www2.asahi.com/koshien/94/aichi/
 
 私は議員になる前の職業が朝日新聞販売店主であったことから、議員になる前年の平成10年までは、愛知大会の会場となっていた津島市営球場が販売エリアにあったため、球場の設営から維持(朝日新聞社の社旗の保持など)で毎日球場に出向いており、高校野球の写真展を開催した年は、県内各地の球場へ撮影に出かけました。
 
 「大鹿君、高野連は何とかするから、新聞社を何とかしてくれ」と、当時高野連の役員で津島高校の野球部長を務めておられた剣先生に言われ、津島市営球場を地方大会の会場にするため、当時の豊田市や春日井市など、津島市より大きな市を相手に誘致運動を繰り広げて獲得した会場でした。
 
 販売店主とは言っても、当時大学を出たばかりの新米店主でしかなく、武器は「販売部数増」を旗印に名古屋本社に訴え、駅から交通の便の悪さを克服するため、当時の井桁市長が名鉄バスによる無料輸送を決断して勝ち取った会場でもありました。
 
 この津島球場から勝ち残って甲子園へ出場した選手には、大リーガーとしてニューヨークヤンキースに移籍したイチロー選手(愛工大名電)もおり、春の選抜大会で優勝投手となった東邦高校の山田喜久夫選手も存在します。
 
 
 当時の東邦高校は奈良県の強豪天理高校と練習試合を行っており、その会場には津島市営球場が使われ、当時は鬼の監督と言われた阪口監督に緊張しながら記念撮影に収まったのも懐かしい思い出となりました。
 
 議員となって疎遠となり、数年前からは老朽化した球場の改善もできない事から、愛知大会の会場からも外されてしまい、それまで当り前と思っていた高校野球とも無縁となって開催されていることも忘れてしまいそうなこの頃となりました。
 
 「大鹿さん、久しぶりですね。高校野球の時は…」との一言は、今月に開催された津島市の協議会に出席された津島北高校の校長先生で、かつては野球部長として津島球場の担当として顔をあわせていた懐かしい再会も、今年いっぱいで定年退職と聞き、よけいに寂しさを覚えてしまいました。
 
 「汗と涙の高校野球」と、宣伝カーにスピーカーを積んで県内各地へ高校野球の宣伝(朝日新聞の宣伝でもありました)に廻ったのも懐かしい思い出となりました。
 
 偶然ですが、土曜日に町内のご婦人たち(超高齢)から、岡崎市にある一畑山薬師寺に連れて行って欲しいと言われ、運転手役で出かける予定にあることから、息子たちの母校となる愛工大名電の試合を観戦できるかも知れません。
 
                                7月26日の一言 

巨人軍の金権が大学にも波及しており

 プロ野球・読売巨人軍の高額契約金問題で、新たに大学野球部の監督が、退職後に巨人軍から業務委託料として2千万円を受け取る覚書を交わしていたことが発覚して新聞紙上へ報道されている。
 
 日本学生野球協会は、「選手や監督などへの利益供与があった場合、当時から『学生野球の本義に違背する行為』として処分の対象としている」としながらも、「ただし、利益を実際に受けていない場合は問題とならない」と歯切れが悪いが、こんなことが存在したこと自体が問題であり、紳士たれと言われた巨人軍は悪銭まみれで、読売新聞にも公器としての自覚も見られません。
 
 かつて、ヤクルトの古田選手の正論に対して、「たかだか選手ごときが」と吠えたオーナーが新聞社のトップに君臨し、公正であるべき政治にも主導的立場で介入し、野球界のルールも無視した横暴が現在まで続いており、こんな話題がプロ野球の夢を壊していきます。
 
大学監督に業務委託金約束 巨人、将来2千万円 
 
巨人、6選手に契約金36億円 球界申し合わせ超過
 
 私も長嶋監督の選手時代から巨人の大ファンであり、最下位になっても応援し続けてきましたが、巨人生え抜きの選手が粗大ゴミのように切り捨てられていく現実と、大リーグでは通用しない国内主力選手を銭にまかせてごっそり集める手法が嫌で、巨人ファンを辞めると自然にプロ野球自体に関心が無くなっていきました。
 
 今年はかつて長嶋監督の下で巨人の3塁を守った中畑選手が横浜の監督に就任し、チーム力は最悪かも知れませんが、監督がトップセールスとして身体を張って頑張る姿に、自分の若かりし頃を思い出して新鮮な気持ちにされましたが、巨人の球界の申し合わせを無視した金権体質に改めて反吐が出てきました。
 
 過去の案件と罰則は決めてなかったとは言え、新人選手の契約金についてのプロ12球団の申し合わせ事項については、入団する選手は知っていて当り前の事ゆえに、申し合わせを超過する契約金を貰っていた6選手は、ルールそのものが重要なスポーツ選手として不純であり、白々しくプレーを続けてきたのである。
 
 こんな選手が反省する発言もせずに、屋根の下でぬくぬくとプレーする野球に、野武士のように下積みから成長した選手たちや、弱小チームの躍進を期待したいものでもあります。
                               3月16日の一言

久々に高校野球の昔話に花を咲かせ

~追伸
今日、審判仲間と打ち合わせをしていたところ、ブログで交流のある大鹿市議会議員と偶然お会いし、お話をする機会がありました。いろいろと面白い話をお聞きすることができ、楽しいお時間でした。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。     
http://blogs.yahoo.co.jp/ncwpw368/34153932.html
 
 添付した一言は、昨晩に一宮市から訪れた知人と近所の珈琲屋さんへ出かけた時に出会った大治町議会横井議員のブログに記された追伸ですが、打ち合わせ中の審判仲間のHさんというのは、夏の高校野球(甲子園)の愛知大会の会場となっていた津島市営球場で活躍された現役のベテラン審判員で、久しぶりに懐かしい高校野球の話に花を咲かせる事となりました。
 
イメージ 1 私と高校野球の出会いは、旧くは昭和48年の名古屋瑞穂球場で母校の応援団長としてスタンドに立ったのが始めで、偶然にも大学時代に朝日新聞販売店主の職を与えられた事から、夏の甲子園大会を主催する新聞社のPRのために地方大会の裏方として関わるようになりました。
 
 そして偶然にも、津島球場を新たに高校野球の大会会場にしたいと言う津島高校の剣先生(当時の高野連幹部)の、「高野連は何とかするが、朝日新聞社を何とかしてくれ」との依頼に、簡単にも「ハイ」と応えた事から大きく関わるようになりました。
 
 簡単に「ハイ」と言ってしまったものの、駆け出しの若造に朝日新聞社を説得する力は皆無で、色々と対応している中で「これこそ決め手」と思われる手を考えたものの、それは会場となった場合に朝刊を500部増紙するという無謀な方法でした。
 
 幸いにも、若造の私の発言に、津島市で戦前から朝日新聞専売店を営む老舗(朝日会会長も歴任)の永田実氏が、「大鹿君、いいよ。やろう」と言って下さり、夏の高校野球を主催する朝日新聞社と高校野球連盟は津島市で決着となりましたが…
                                     (昭和60年頃の話です)
 
 ただし、ここからが問題で、津島市営球場には近くにバス停どころかバス路線がなく、名鉄津島駅から遠いために県内各地から訪れる選手はもちろんの事、応援や観客の交通の便が悪いことも大問題となりました。
 
 紆余曲折の後、この問題は当時の津島市長の英断によって、津島市が津島駅から球場まで無料の名鉄バスでピストン輸送する事で解決し、豊田市や春日井市(私の勘違いかもしれませんが)など、人口では比較ができない大都市に競り勝って大会会場となりました。
 
 さて、こんな大変な誘致運動によって、津島市営球場が地方大会とは言え夏の甲子園につながる球場として運営されてきましたが、2年前から津島市営球場は会場から外れる事となり、津島市も「何とかしたい」とは全く思っていません。
 
 横井議員は高校球児から野球審判となって活躍しており、こんな昔話も語れるH審判とともに出会えた事から、久々に新鮮な思い出として野球の思い出話となり、再度高校野球の会場として名乗りをあげる意欲も湧いてきました。
 
 一方で、「500部の増紙」については、いとも簡単に記しておりますが、現在の朝刊購読料が1ヶ月3千円である事を考えると、当時でも大変な金額となり、この部数は一時的な数字ではなく、恒久的な部数増を約束した訳ですから、私だけでなく快諾いただいた永田大先輩も、津島市営球場を会場にするために大変な散財をした事が判ってもらえるでしょうか。
                                    2月26日の一言

本日の涙・めざせ康思園へ

 本日の朝日新聞夕刊に「亡き友と目指せ『康思園』」の記事があり、本年2月の練習中に交通事故で亡くなった球友とともに、一緒に甲子園出場を目指す愛工大名電の選手たちの様子が記されている。
 
 小学校1年生で野球をはじめ、「甲子園に行ってプロ野球選手になる」と、愛工大名電に進んだ徳浪康介君は、県内の実家を離れて春日井市の寮から名古屋市内の学校まで走るトレーニング中に、後ろから走ってきた乗用車にはねられてこの世を去った。
 
 昨日記した「松井秀喜」選手と同じように野球の道を進みながら、高校2年で甲子園出場も果たさないままこの世を去った康介君の心情と、私より若いご両親の心情を考えると、私の涙腺は全開となり止めることができません。イメージ 1
 
 主将で4番打者の谷口君(写真下)は、遺品のバットを使わせて欲しいと申し出て、高校通算44本のホームランのうち7本のホームランを康介君のバットで打ち、愛工大名電のベンチには康介君の遺影が置かれていると言う。
 
 私にはこの記事を読んだだけで涙が止まらない事から、とても野球場のスタンドまで足を運んで愛工大名電を応援する事は難しいが、全員が胸に「康思園」のお守りを忍ばせて戦う姿に、甲子園出場となれば息子たちの母校でもある事から応援に走ろうと思います。イメージ 2
 
 こんな感動する記事を書いてくれた朝日新聞工藤隆治記者にも感謝です。
 
 
 もっとも、この感動秘話は、名古屋テレビのアナウンサー佐藤裕二記者も、「アナウンスルーム・ニュースの時間」に同種の内容を書き残していました。
 
メーテレアナウンサールーム  http://www.nagoyatv.com/blogs/ana_sato/2010/07/13/373
 
 人にはそれぞれの夢と希望があり、夢かなう人もあれば夢破れる人も多いが、事故で夢半ばに終わった仲間を忘れず、一緒に夢を果たそうとする仲間の存在に、リストラや失業によって世の中を嘆いている人々も世の中捨てたもんじゃないと奮起して欲しいと思います。
 
 今回紹介された愛工大名電以外にも同様の秘話があると思いますが、人は確実に死を迎え、もっと悲惨な事故や事件に巻き込まれる人もあり、松井選手のように夢に一直線とはまいりませんが、徳浪康介君の死を無にせず、仲間の球児たちによって残されたご両親を甲子園まで導いて欲しいと熱望する一日となりました。
                                   7月17日の一言
追伸
この事故によってチームは練習ができず、春の県大会は練習不足のまま臨み、夏はシード権もなく一回戦からの戦いが始まっています。彼らの闘いに期待したいと思います。
 
事故当時の記録・ブログ 「コウサする日々」
               http://blog.livedoor.jp/jumbonokachi511/archives/51432853.html

感動の松井秀喜記念館へ

参院選愛知選挙区 民主党安井美沙子氏派 選挙違反事件
 
 選挙があると当り前のように選挙違反が露見してくるが、支援者の犯した違反とは言え、県会議員の妻が犯した違反だけに、否定しても組織的な疑惑は拭いきれず、こんな醜態を全国に曝した落下傘候補者が愛知県に必要だったのか。
 
 投票日前日、名古屋市の中心部となる広小路通りの真ん中を、4台の自転車を先頭に街宣車を走らせた候補者であるが、世間の迷惑を考えない自己中心的な選挙をこのブログで批判しましたが、選挙違反で逮捕者まで出した責任は免れません。
 
 さて、昨日から石川県能美市と、本日は小松市の行政視察を行いましたが、昨日は宿泊したホテルから近かった事から、夕方に「松井秀喜ベースボールミュージアム」にも立ち寄りました。イメージ 1
 
 他のメンバーの心情までは図りきれませんが、元巨人ファンにはなりましたが、松井選手がデビューして以来のファンである私は、松井選手の子供時代の写真と色紙に記された「僕には夢がある」のサインに感動です。
 
 初めてバットを握った子供の頃から、少年野球クラブ、根上中学校、星陵高校時代の大切に残された品々から、松井選手の家庭が偲ばれ、所属した少年野球クラブから現在の大リーグエンゼルスまでの5チームのユニフォームが展示されています。
 
 私が感動して涙腺から熱いものが滲んできたのは、4年前のヤンキ-ス時代のレッドソックス戦の守備で左手首を骨折した写真で、一緒に展示されていた右膝の手術後に使用した大きな補助具から故障の大きさを実感し、逞しく甦った姿から松井選手の大きさを改めて実感させられました。
 
 愛知県にも大リーグで活躍するイチロー選手が存在し、私の息子達の高校の先輩にあたりますが、松井選手と比べれば郷土との縁が希薄になっており、今回の訪問で松井選手と地元の根上町(現在は能美市)との切っても切れない絆を改めて実感させられ、ファンであった事がうれしく思えました。
 
 もっとも、最近の私は感動すると場所に関係なく涙腺から涙が溢れ出しますから、今回も周りに悟られぬように涙を拭うのには苦労し、「大鹿君、もう帰るよ」の一言にも反応できません。入館料も300円と安く、皆さんにも薦めたいスポットとなりました。
                                    7月16日の一言
追伸
本当は昨日の夜に記したかったのですが、地元が集中豪雨に遭遇していた事と、視察終了後の訪問でしたが、「地元が大変な時に何事か」と言われかねない事から、本日帰宅後に地元の安全を確認してからの書入れとなりました。

松井選手とニューヨーカーが感動をくれた

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松井秀がニューヨークに凱旋 万雷の拍手の中で手にしたチャンピオンリング ↓↓
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2010/text/201004140007-spnavi.html

 「それはまるでハリウッド映画のように―― ほとんど絵に描いたようなヒーローの帰還セレモニーだった」
 これは添付したスポーツ記事の書き出しであるが、チームの移籍が当り前の野球界において、移籍した敵チームとなったエンゼルス松井秀喜選手に対して、昨年までのヤンキ-スのチームメイトとニューヨークファンは温かく迎えてくれた。

 最近では日本のプロ野球を見る機会もなくなったが、私にとっては巨人の新人選手の時と変わらぬ松井選手の振る舞いや態度は、唯一応援を続ける野球選手であり、この記事を読んだ瞬間に(最近緩みっぱなしの涙腺は)嬉し涙が頬を伝わり、ヤンキ-スに入団して4年目の左手首骨折のシーンが脳裏に浮かんできた。

 昨日の一言に、韓国ドラマの魅力を記したが、最近のスポーツには大金が動いたり、プロ野球も人としての魅力や人情を感じる場面がなくなっているが、松井選手については北陸のグランドの土をつけたまま成長しており、本日は私のくだらない一言より、添付した写真と記事によって皆さんと感動を共有する夜にしたいと思います。
                                4月14日の一言


〇主将ジーターの一言
「松井は私にとって最もお気に入りのチームメートの1人。プロフェッショナルという言葉がぴったりで、毎日必ず準備を整えてスタジアムに来てくれた。何があろうと言い訳をするのを聞いたことはない。手首を故障して同僚たちに謝罪するような選手にはこれまで出会ったことがない。ホーム開幕戦の場に彼がいることは適切に思えるし、ファンからオベーションを受け取るに相応しいよ」

赤いゴジラ 松井秀喜↓↓
http://www.jiji.com/jc/v2?id=091103matsu_hideki&rel=y&g=phl

 スポーツで涙が頬を濡らしたのは、オリンピックでスケート靴の紐が切れた織田選手以来ですか…

息子とバッティングセンターへ

 本日は昼間から雪が舞う厳しい寒波が私の住む地域にも襲い、コタツの中の一日になりそうでしたが、三男がバッティングセンター(野球です)に行くと言った事から、久しぶりに私も同行する事になりました。

 「ところで、お父さんって打てるんかなァ」と、三男が家内に確認していましたが、よくよく考えて見ると三男は平成2年生れですが、私も昭和50年代には軟式野球チームを作り、バッティングセンターではホームラン王を何度も取っていたことが理解されていません。

 チームの道具一式が我家にあった事や、メンバーの半分が我家の従業員だった事から、毎日のようにキャッチボールをして、深夜まで各地のバッティングセンターに出かけていましたが、私が大学まで進学させて将来を期待していたK君が平成3年に交通事故で亡くなった事や、平成5年にはPTA連合会の会長になった頃からは、バッティングセンターとは無縁の生活となっていた事すら本日まで忘れていました。

 本日訪れたバッティングセンターは、私にとってはPTA役員の大先輩となるだけではなく、議員としても議長を務めた大先輩となり、現在は引退して大規模な老人福祉施設の経営に専念されているが、かつてはこのバッティングセンターの経営者と客の立場で身近に会話を交わしていました。

 そうやって考えると既に20年近くもバットを振っておらず、久々のバッティングセンターとなりましたが、意外に身体が感覚を覚えており、若い時の全力のバッティングはできませんが、素直に当てることから空振りはなく、力は衰えたものの打力はまだまだ若い者には負けません。

 さて、こんな事も今週限りで、来週からは入っている仕事と、残っている仕事があることから、まさしく今週は一年で一番時間的余裕のある一週間となったような気がしますが、考えてみると最近は風邪で休養した記憶もないことから、こんな事も休息のない原因だったのかもしれません。

 今更風邪をひきたくはありませんが、コタツや事務所の中で休養ばかりではなく、日頃使わない筋肉も使って身体を痛めておかないと、身体の隅々まで血が通っていないと自覚するようなバッティングセンター行きだったのかも知れません。
                                  2月6日の一言

ヤンキ-スの松井選手がMVPに

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 アメリカ大リーグのワールドシリーズはヤンキ-スが9年ぶりに優勝し、先制ホームランなど1試合6打点をあげた松井秀喜選手が日本人として初となる最優秀選手(MVP)となり、渡米して7年目にして初のワールドチャンピオンに輝いた。

関係記事↓↓朝日新聞
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200911050116.html
松井選手に関するブログ↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/tommiejunior1023/49666173.html

 今年は足のケガもあって守備に入れず、指名打者として4試合ぶりの先発出場となったが、代打となった試合でも一度しかないチャンスを確実に生かした成果が本日の結果となり、来期はヤンキ-スから解雇されて日本に帰る報道もあった事から松井ファンとしては溜飲を下げました。

 ヤンキ-スタジアムが日本の球場と間違えるほど球場全体からマツイコールが湧き上がり、インタビューで来期の進退を問われて「僕はニューヨークが好き」と答えた表情と、ヒィーローインタビューも日本語で淡々と答える姿に巨人時代と変わらぬ松井秀喜の魅力を見た。

 日本でも巨人と日本ハムが優勝を争ってシリーズが開催されているが、私は数年前よりアンチ巨人となっており、余所者を集めて試合をする巨人には魅力が感じられず、9回の奇跡的とも思える逆転で勝利を得たものの、大リーグの魅力には程遠い姑息なイメージしか湧いてこない。

 もっとも最近の国会審議を見ていると、政権与党となった民主党や鳩山首相は、野党時代や選挙前の公約や発言を翻して、説明すらしないばかりか亀井大臣については質問に罵声を浴びせており、自民党の麻生首相の正直さが懐かしく思われていただけに、松井選手のMVPは暗い話題を全て吹き飛ばす位の久々のニュースにも思えました。

 さて、今季で契約の切れる松井秀喜選手であるが、本人の希望するようにヤンキ-スとの再契約が続くように期待したいが、大リーグの大選手になっても、日本時代と変わらず黙々と自分の野球を続ける松井選手の姿に、日本人の多くが感動させられたのではないか。
                                 11月5日の一言

消えた昨日の感激を振り返り

 本日は津島市議会の本会議の閉会日となったが、日本中を感動されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の優勝が昨日であった事すら忘れられたような現実に、一日の経過の大きさと昨日の感動がウソのような現実に襲われた。考えてみれば、市役所も会社も仕事中であった事を考えれば当然かもしれないが…

 昨日の一言に私は『10回に招いた走者2、3塁のピンチに、2死であった事を考えれば、打者のイチローを敬遠するのが定石とも思われたが、正々堂々と勝負した事を評価したい。敬遠してこの回をしのいでおれば、勝利の行方は判らなかったと思うが、イチローを封じて「世界一」を目指した采配に対しては評価したい』と記した。

 本日の報道によれば、「韓国、イチローと勝負悔やむ」として、ベンチは敬遠の指示は出さなかったが、際どいコースをついてうまくいかなかったら、歩かせる指示が捕手に伝わっていなかったとあり、このミスがなければ展開は不透明となり、勝敗は逆になっていた可能性も否めない。

 ただし、韓国の金監督は「選手は最後までよく戦ってくれた」とコメントしており、日本の15安打に対してわずか5安打で延長まで互角に戦った事を考えると、戦力を有効に使いきった監督采配を評価するとともに、韓国のブーイング報道も予測されるが、明らかに劣る戦力で互角に戦った韓国チームを称えたい。

 一方で、3倍の安打数を残しながら日本は何故に最後の土壇場まで際どい結果しか残せなかったのだろうか。いかに原監督や選手達に対するプレッシャーが大きかったのかが予想され、週刊誌などにも「原監督」や「侍ジャパン」への批判が記されていた事から、結果が悪いと叩かれる最近の日本の風潮や、批判をする事が当り前となっている報道への警鐘を考えてみたい。

 仮にイチローの殊勲打が出ず、韓国に逆転負けで優勝を逃していたら、原監督やイチロー、ダルビッシュ選手らに対する報道の扱いはどうなっていたか考える時、昨日の9回と10回の攻防は、まさに天が与えた試練としか思えず、瀬戸際の一打を放ったイチローは神業である。

 昨日の試合を振り返る時、終盤の試合展開が我々に与えた緊張感と感動を、今後はスポーツによる人々への人生の肥やしとなることに注目し、結果によっては批判が付きまとう日本の風潮を反省し、スポーツによる国際交流へと発展させていきたいものである。
                                   3月25日の一言

両国で分け合いたい優勝の感動

 今日の話題は誰が何と言おうと野球しかありません。キューバを2試合完封し、アメリカと韓国に勝利した今年のWBCは、前回の運も味方とした栄冠とは違い、実力とチームワークで勝ち取った勝利であり、不振で苦しみながらも最後のチャンスに活躍したイチロー選手をはじめ全選手に感動させられた。

 野球に関しては、新聞や専門のスポーツ紙に記されているとおりであるが、最後の9回で同点に追い着かれたダルビッシュ投手についても、今回は絶不調だったイチロー選手の10回の一打によって、最後のマウンドを守りきれた事と、勝った事で何も批判を受けないですむ原監督など、負けた場合に必ずおこる第三者の批判をシャットアウトする意味で本日の勝利は最高の試合となった。

 「世界のイチロー」は、「日本のイチロー」であり、愛知県や私の息子達の出身校「愛工大名電のイチロー」であるが、試合をテレビ観戦していた三男が、「やっぱりイチローは母校の誇りだ」と叫び、イチローの活躍によって「愛工大名電」の後輩達は全国を目指し、日本一を目標に掲げるようになっている。

 さて、今回の優勝は、日本の実力と言えばそのままであるが、隣国である韓国も優勝と変わらぬ活躍を続けており、本日の試合においても9回に同点に追い着き、10回に招いた走者2、3塁のピンチに、2死であった事を考えれば、打者のイチローを敬遠するのが定石とも思われたが、正々堂々と勝負した事を評価したい。敬遠してこの回をしのいでおれば、勝利の行方は判らなかったと思うが、イチローを封じて「世界一」を目指した采配に対しては評価したい。

 アメリカで開催されている割には、アメリカが本気となっていない点には不服だが、日本と韓国でこれだけ国民の注目を集めた事から、「宿敵」などとは言わずに、春のキュンプや、シーズン後の優勝決定戦だけでなく、日本のセリーグやパリーグがシーズン中に行なう交流戦のように、日頃から交流する機会を作るのも名案ではないだろうか。

 最近ではサッカーや野球の試合を通じて、韓国とは好試合や緊張感のある接戦も多く、映画などで進んだ韓流ブームのように、スポーツを通じた真剣な交流が進めば、より両国の親密な関係に発展するのではないだろうか。今後の両国のスポーツにおいて「宿敵」という言葉が無くなる日に期待したい。
                                        3月24日の一言

星野監督の最悪シナリオを阻止したい

 北京オリンピックが終わり、メダルを獲得した選手に対する政府や出身地の自治体からの歓迎の式典や表彰が続く中で、感動どころか人々の期待に反して無冠に終わった「星野ジャパン」に対する球界や関係者の批判が噴出している。

 選手の選出に始まり、短期決戦での選手起用についても批判が多く、楽天の野村監督は「仲良しグループをコーチに選んだ時点で、だめだと思った」と批判し、データが使い切れていない事と、「投手出身の監督は視野が狭い」と星野采配をこき下ろしている。

 一方で、オリンピックの日本選手団の役員からも、「寄せ集めの即興チームで勝てるほど甘くない」と野球チームの運営に批判が出され、野球選手が選手村の宿舎に入らず、ホテルから試合会場入りする特別扱いについても批判の発言が続いた。

 ロッテのバレンタイン監督も、「チームにまとまりがなかった。エネルギッシュとは感じなかったし、優れた選手はいるが、ただグラウンドに散っているだけ」と、決勝トーナメント4試合を北京で観戦して語っている。

 さて、誰しも結果だけでなく星野監督の采配やチーム運営に批判的な声が多いが、肝心の星野監督の記者会見では、「野球ファン、日本のスポーツファンに申し訳ない」と謝罪はしたものの、自身の選手起用についても「これが星野流」と反省もない開き直りの発言となった。

 一方では、「ストライクゾーンの違い」などを敗戦の理由に挙げているが、「金メダルしか眼中にない」と発言し、自分の意のままにコーチや選手を選んで乗り込んだオリンピックだけに、素直な反省とともに、韓国のように国を挙げて一丸となった金メダルに学ぶべきでもある。最悪のコメントは、自分で選んだ選手への批判発言である。

 関係するブログ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/minamichannel3/43314610.html

 最後になるが、来春のWBCの監督について、読売巨人軍の渡辺オーナーが星野監督を推薦する発言をした事と、「世間にそう言う声があるなら…」と星野自身も否定をせず、リベンジの可能性も示した事が報じられてきた。

 こうなると悪夢である。オリンピックを前に報じられた星野巨人入りのウワサに嫌悪感を感じていたが、プロ野球の悪の象徴渡辺オーナーと星野の関係に、当分はプロ野球を見たくないと思うとともに、来春の監督人事(巨人とWBC)が気がかりな一日となった。
                           8月26日の一言
星野監督に関係するブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/24664137.html

葬儀中に代表校(高校野球)が決まり

 愛知県の高校野球代表校に本日東邦高校が勝ち残り、昨日東愛知地区を制した大府高校との2校が甲子園での頂点を目指す。

 本日の夕刊では西愛知大会は5回で11対0と東邦がコールドゲームのような途中経過となっているが、6回に対戦相手の啓成が8点をあげ、結果は12対9の打撃戦となっている。夕刊を読むと東邦のワンサイドゲームと思えるが、直後に逆転も可能な逆襲が起こっていたのである。

 さて、高校野球の歴史は主催する朝日新聞社の歴史でもあり、私も朝日の販売店主としてとりわけ写真展なども主催した事と地元球場の設営に関わった事から、多くの試合と名選手との出会いを経験したが、高校野球から離れて9年が経過し、過去の記憶も薄れており久々の高校野球観戦となったぱかりか、久々に熱い夏を体験できたと感謝している。

 それにしても、情報化社会の中で、朝日新聞社は新聞だけでなく電子情報についても見事な対応をしており、高校野球についても全国の試合結果を把握するだけでなく、参加する全国の高校の戦績やデータまでまとめ、我々が一瞬にして検索できるシステムを構築していた事を評価したい。

高校野球アサヒコム↓↓
http://www2.asahi.com/koshien/

 高校球児ではじめて身近に声をかけてくれたのが、池田高校水野投手(元巨人)やPLの桑田や清原と同時期の甲子園で活躍した中京高校の野中投手(元阪急)で、杉浦監督のもとで主将として活躍するばかりでなく、我々の一言にも「ありがとうございました」と立ち止まって真面目に答える姿が昨日の事のように思い出され、今でも会いたいと思う選手でもある。

 今となっては一瞬の出来事だが、後に野中投手がプロ野球に進んだことから、「あの時に写真でも残しておけば…」の反省を残し、その後春の選抜優勝投手となった東邦の山田投手(元中日)とは天理高校との練習試合の後に写真を残し、現在も事務所に残してある。

 一言が長くなったが、過ぎた過去については記憶もあいまいとなり、年数についても思い出せない事が多く、前記の高校野球アサヒコムについては、過去の試合の結果が残され、当時の記憶がよみがえってくるが、ここに出場選手の情報もリンクさせれば最高とは身勝手な一言に。

 本日は知人の葬儀に出かけ、故人の出身地が私の叔父と縁がある事から、参列者から叔父の姿がないことのささやきが聞こえ、不調とは知りつつ、近況を知らない自己反省ともなる一日となった。
                           7月26日の一言

遥かなる甲子園を実感す…

 本日は高校野球の応援に岐阜県の長良川球場に走りましたが、応援する大垣日大高校は美濃加茂高校に6対5で敗退してしまいました。

 先行され同点打を放ったのは私の母校神守中学出身の平野壱成選手(2年生)でした。逆転に成功したものの終盤に勝ち越しを許し、9回の2死1塁の打席に立ったのが平野君でした。ここで再度同点打かと期待していると、ランナーが2塁に走りゲームセットに。

 打席でバットも振れずに終わった無念さは、最後のシャッターチャンスを逃した私も同じで、来年の活躍と甲子園出場に期待して再度応援したいと思う。
 さすがに梅雨明けした夏の日差しは強く、肌が焼け付くように痛く、この試合だけで5本のペットボトルを空にしたが、全てが汗となってしまったようである。

 さて、母校出身で活躍する卒業生に津島北高校の伊佐地投手がおり、彼はプロ野球も注目する逸材だが、こちらも本日の試合で甲子園出場経験のある愛知啓成にサヨナラ負けを喫しており、私に残された応援は息子3人が世話になった愛工大名電のみとなってしまったのでもある。

 ただし、日頃外に縁の無い生活を送っている事から、数回の高校野球観戦で顔は皮膚が突っ張り、手も腫れあがっており、このまま観戦すると日焼けを通り越してヤケドとなりそうな様相でもあれます。
 こんな炎天下で走り回る高校球児の姿に、目的に向かって一直線に走る純真さを思いだすとともに、明日からの肥やしにしたいと思う。

 明日一番の仕事は、8月1日に発行予定の神守中学校同窓会報の原稿変更に印刷所に走る事となった。この会報の巻頭文に、「甲子園へのバスを考えて」と記されており、残念ながら来年の楽しみと変更する必要が出てきました。思い込みは禁物で、すっかりと甲子園に行っていた気持も切り替えが必要となる一日となりました。
                            7月20日の一言

高校野球観戦(写真撮影)に抜け出し

 9時半に横井庄一記念館を出発し、東名阪と名古屋都市高速を乗り継いで一宮市からは国道を走り、約一時間で岐阜市の長良川球場に到着したが、駐車場が満杯で車が入れる様子もなく、迂回して駐車場を探しているとオバサンの手招きがあった。

 こんな近くに駐車場があったのかと喜んで入れていると「千円」の看板が置いてあった。11時の試合開始時間も迫っており、それでも有難く球場に走っていくと、前の試合が遅れており熱戦の最中ではないか。しかも、私の観戦する大垣日大と郡上の対戦は、11時50分開始とのアナウンスが流れてきた。

 11時50分に開始された試合はワンサイドゲームで、大垣日大が10点をあげ5回コールドの完封勝ちで1時間半の試合時間である。次は来週の試合で、甲子園出場までは4試合を残す。

 しかし、高校野球の地方大会で千円の駐車場はいかがなものか。周りにはいくらでも駐車できるスペースがあり、これに目をつけた商魂を誉めるべきかとも思うが、これでは競輪場やプロ野球に便乗した高利の駐車場と同じである。

 私のように県外から訪れた観客は、球場の駐車場そのものの場所すら詳しく判らず、並んだ車の渋滞が目的地かどうかも判らずに、案内もないままに並んだ挙句の顛末だが、今まで愛知県では経験した事のない(高校)野球観戦となった。

 さて、横井記念館の留守番を抜け出しての観戦(写真撮影)だけに、少しでも早く帰りたいために高速道路を経由して帰る事とした。

 岐阜市⇒岐阜各務原IC…(東海北陸道)…一宮JCT…(名神高速)…一宮IC(600円)⇒(名古屋高速)…清洲JCT(350円)…(東名阪)…大治南IC(500円)

 1時間半で到着する目的地に高速はもったいないが、横井記念館が大治南インターから五百メートルの位置にある事から、高速の乗り継ぎで高速の所用時間は約20分のスピード移動が実現した。3900円(入場券は600円)の高校野球観戦も贅沢で、母校の後輩の活躍で甲子園まで続くと大変な夏にもなりそうな予感である。
                            7月13日の一言
 

 

高校野球・卒業生の応援に岐阜県関市まで

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 愛知県でも夏の甲子園を目指した地方大会が開催されていますが、本日は岐阜県の関市営球場まで足をのばして、大垣日大高校と関商工の対戦を観戦してきました。

 本日は自分の母校も地元の津島球場で対戦しているが、東海北陸道を利用して岐阜県関市まで他県の高校野球を観戦したのは、大垣日大高校の遊撃手で2年生ながら主力メンバーとして活躍する平野選手が、私が同窓会長を務める地元神守中学校の卒業生で、活躍する母校のOBを追っての観戦です。

 試合は日大の投手が不調で緊迫する試合展開となったが、平野選手はチーム初ヒット(写真中)と一点目のホームを踏む活躍を見せてくれ、試合は2対1の接戦ながら大垣日大の勝利となった。
 
 「おい、入場券はいるのかね?」とは、私が長年朝日新聞の販売店を営んでいた事から、無料の入場券でしか観戦した事のない知人の一言で、私自身も入場券(写真上)を支払って高校野球を観戦したのは、昭和48年に名古屋瑞穂球場で東邦高校と西尾高校が対戦した試合までさかのぼる。

 この試合では後に早稲田大学から巨人に進み、正捕手として活躍した東邦山倉選手がランニングホームランを放った試合で、私は2回戦で母校と戦った西尾高校への返礼の応援に行き、この試合から山倉選手のファンとして巨人時代まで応援する事となったのでもあった。

 今から30数年前の話となるが、当時の東邦監督で「鬼監督」と言われた阪口監督が、数年前から大垣日大の監督となっており、試合終了後の取材陣に答える姿を頭上から見ると(写真下)、かつて青年監督のイメージとは大きな時の経過を実感した。

 阪口監督と津島市との縁は深く、20年ほど前に東邦高校が日本一を達成した当時は津島市で合宿し、奈良天理高校との練習試合にも津島球場が使われ、次の夏の大会も津島からのスタートとなり、勝利後に私とのツーショットを撮影してもらったが、撮影者の不手際に鬼監督の鼓動が聞こえるような緊張感があったのを覚えている。

 さて、当時の監督の写真と対比しようと探すものの、大量に撮りだめ山積みされた中からは見つからず、半年分の汗をかいた試合観戦と同じくらいの汗をかいたものの、発見には至らなかった。私と阪口監督の写真も、撮影する私の写った写真は珍しく、撮影してもらった仁村さんも今は天上にある。

 さあ、来週は長良川球場で対戦との事である。試合後に平野選手とお父さんに「甲子園が決まったら地元神守からバスを出そう」と約束したが、3人の息子が世話になった愛工大名電高校が甲子園を決めたら、三男が最後の在校生のために甲子園にバスを出す事を決めている。大変な夏になる期待と、一生の記憶に残る夏になりそうな期待は実現するだろうか。

 ガンバレ!大垣日大高校 ガンバレ!愛工大名電高校
                            7月6日の一言

探し物は出ず事務所は満杯に…

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 6月に愛知県に申請書が出してあったNPO法人の認証が、今週末には発送されるとの連絡が愛知県の担当課よりあったが、6月に提出して受理された書類の不備も2点あったとの話に、その後に提出する法務局への登記なども考えると、夏休みとは言ってはおれない現実がある。

 高校野球も明日が最終の決勝戦となり、敗れ去ったものの静岡代表の常葉菊川の最後まで試合を捨てない見事な試合運びに熱くなった一日でもあった。高校野球との出会いは高校時代の応援団長(上の写真)から始まり、8年前までは朝日新聞販売店主として球場設営やPRにかかわってきた。

 昨日常葉菊川に敗れ去った大垣日大の阪口監督をテレビ画面から眺めてきた。かつて愛知県の東邦高校の監督で「鬼の阪口」として、私の地元である津島市営球場でも奈良・天理高校との練習試合や、公式戦でもイチローの3年時や選抜日本一に輝いた年も津島市営球場から勝ち進んで甲子園出場を果たしている。当時を思い出すと年月の経過を実感するものの、「仏の阪口」と言われるようになった今でも、かつての阪口監督と同じ情熱溢れる采配に若さが欠乏する自分が恥ずかしく思えてきた。

 さて、阪口監督とのツーショット写真が我家には何枚か存在しているはずだが、探せども見つからず、かつて自分が撮影した写真が乱雑に放り出されて事務所は足の踏み場も無くなってしまった。それでも深夜まで探せども見つからず、撮りっ放しの反省と、今となっては整理どころか日時の特定もできない事から懐かしく写真を眺めるのみとなるが、時間までは当時にさかのぼれない。

 鬼と呼ばれた東邦阪口監督の写真を探し(3時間かかりましたが発見できず)ながら、今となっては歴史(とまでは言えないが)となりそうな写真が次々と発見されてきた。一方では、私の写した写真の中には、今は亡き多くの物故者の姿も残されている。所蔵する写真だけでも十分に個展ができると自惚れるものの、まったく残されていない日時等の記録にうんざりする一日ともなった。
                                  8月21日の一言

桑田選手の再起に今尚期待して…

 本日の夕刊には、元巨人軍のピッチャーで、大リーグに渡っていた桑田真澄選手が、大リーグパイレーツから戦力外通告をうけた事から、退団して帰国する事が記されてきた。

 私にとってはPL学園高校の一年生で甲子園に出場した時から応援してきた選手だけに、甲子園球場で熱戦が繰り広げられている最中の帰国に淋しさを隠し切れないでいる。多くの人々が39才の大リーグ挑戦を、パフォーマンスのように思っておられるかも知れないが、桑田の大リーグ挑戦により再起を目指しているPL同期の清原選手共々に、私は最後のエールを送って(本人達には届かないものの)期待を捨てきれずにいるのである。

 「これからについては、日本に帰って考えたい。まだ8月だし、今年はかなり無理をしたので、まずは体を休ませたい」と話し、「僕は何らかの形で野球にかかわっていくと思う。体と相談して、どうするか決めたい」とも語っている。
 シーズンの初めにケガをして、足の痛みが完治したプレーであったとは思えないが、人々の桑田を見る視線は厳しく、いまだに悪役のイメージを引きずっており、厳しい声も聞こえてくる。

 本日の高校野球の第4試合(下記参照)で、序盤から圧倒的リードを許した聖光学園だったが、ピッチャーの球を受ける捕手は、制球の定まらぬピッチャーにも最後まで嫌な顔や苦しい表情を見せずリードに徹していた。桑田や清原は高校野球の当時とは身体も風貌も変わってはいるものの、私は野球に対する情熱は変わっていないと信じている。

朝日新聞ニュースから
第89回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)第11日の18日、第4試合(3回戦)は広陵(広島)が聖光学院(福島)を8―2で下し、5年ぶりに8強入りした。

 聖光学院は2年生の左腕・佐藤が先発。広陵はエースの右腕・野村が先発した。2回表、広陵は先頭打者の林、山下の連打に続き、野村の右越え適時二塁打で2点先制。ここで聖光学院は佐藤をあきらめ、エースの鈴木健に投手交代したが、広陵は櫟浦が適時右前安打を放ち、3点目を挙げた。
 さらに広陵は3回表、2死からの4連続長短打で一気に3点を加えた。 聖光学院は、広陵・野村の速球と低めに決まるスライダーを打ちあぐね、6回まで3安打に抑えられた。7回途中、野村に代わって2年生の前田がマウンドに上がった。
 聖光学院は8点差で迎えた9回裏、広陵の三番手・森宗の代わりばなを攻め、渡辺が四球で出塁、続く末永の右越え適時三塁打でまず1点。さらに黒羽の犠飛で2点目を入れた。

 さて、桑田が活躍した高校時代には、私も朝日新聞販売店主として地元津島市営球場を愛知大会の会場誘致へと関わった事から高校野球に関係し、PLの桑田達と戦った中京の野中選手や、後には選抜日本一に輝いた東邦の山田選手達と接した事がある。

 本日の新聞報道から、「桑田は元々ダメだ」とか「清原なんか中田(高校球児)に比べれば」などと、子供達が身勝手に評論する言葉を聞かされ、自分の源まで消耗するような気持ちから、二人の奮起を身勝手に期待するものである。さて、さて、二人の結末は如何になろうか…
                                 8月18日の一言

愛工大名電三年連続甲子園へ

 夏の高校野球愛知大会は、本日岡崎球場で決勝戦が行なわれ、逆転勝ちで愛工大名電が3年連続9回目の甲子園出場を決めた。

7月31日:決勝(岡崎球場) 愛工大名電 × 中京大中京
     1 2 3  4 5 6  7 8 9  計
名電  0 0 0  1 4 0  0 0 2  7
中京  1 1 1  0 2 0  0 0 0  5
投手 名電 :細江-高須-柴田章     中京 :井藤-細川
本塁打 中京 :都築1、2号


愛知大会の全試合の記録は、下記の『甲子園に、恋をした』メーテレをご覧下さい。
http://www.nagoyatv.com/base2007/aici/

 試合後のインタビューで愛工大名電の倉野光生監督は、「いまだに信じられない。夏の甲子園では(監督が)一勝もしていないので、選手達が是非一勝をプレゼントしたいと言っている」と答えたが、大量失点を跳ね返す逆転勝ちの試合が続き、最後まで諦めない堂々とした試合運びには、名監督としての貫禄もうかがえる優勝でもあった。春の甲子園では準優勝・優勝と2年続けて経験した実力監督の謙虚な言葉に、絶対に甲子園に応援に行くぞと思わずにはいられない。(ただし、涙、涙のオヤジの出現はメイワクかも)

 「何ーッ、何でオヤジが名電を応援しているの?」とは、数日前の次男の一言であった。まるで部外者のような意地の悪い言葉ではあったが、3人の息子が世話になった高校ゆえに、親バカでも私が応援している次第である。長男と次男の在学中にも何度か甲子園に出場しているが、息子たちも陸上や相撲で全国大会に出場した中で、子供の応援にも行かないのに甲子園へ行く事も出来ずに今日に至っている。

 三男は2年生に在学中であるが、自転車競技の全国へのカベは厚く、8月にやっと東海地区の選抜選手として「ツール・ド・とうほく」に出場を決めたが、夏休みは合宿の連続で顔を見ない日々が多い。息子のスケジュール表に、「東海選抜というブロック代表です。ぶざまなレ-スはできません。狙うのは団体優勝・個人総合優勝です」と監督の言葉が記されていた。

 私にとっては最後の息子であり、この機会に是非とも甲子園に行ってみたいが、息子のスケジュール表に記された言葉に息子も応援に行きたいと思えてくる。ただし、勤めに出た家内の事や、家族の夏休みも考えると難しい選択である。飛行機に乗れない自分にも秋田や岩手、仙台の地名は大きなハンデとなるが…
                                7月31日の一言

真夏の貴重な一冊…

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 梅雨が長引いた事により、涼しい毎日を送っていたが、これからは30度を超える真夏日が連続しそうな気配である。ただし、愛知県から甲子園を目指す高校球児にとっては、限られた日程の中での試合調整は厳しい現実でもある。

 本日掲載した写真は、昭和59年夏の甲子園大会を記録したアサヒグラフ増刊号の表紙を飾った桑田真澄投手と、ホームランを打った清原和博選手を固い握手で出迎え、自分の打席に向かう桑田選手。(二人とも2年生時)
 この年のPL学園は、決勝戦で取手二高と延長10回まで戦ったが、惜しくも準優勝に終った。高校野球の記録は、愛知大会と甲子園大会のグラフが(毎年)全て保存してあったが、議員に立候補(平成11年)する際に「こんなのはゴミだ!」と言われ、事務所を整理するため総てが破棄されてしまったので、桑田ファンの私にとっては貴重な一冊となった。
                                7月27日の一言



プロ野球の後遺症から…

 高校野球連盟は昨日の全国理事会において、日本学生野球憲章に違反するとして厳しい処分を発表していた『野球部員の特待生制度』の処分を緩和することを決めたと発表した。

 突然の厳しい発表により、特待生制度を打ち切られた生徒が、経済的な理由から退学や転校せざるをえないケースも多い事から、見直しを訴える声も多く、今回の処分緩和につながったものと思われるが、学校教育の関係者でありながら、特待生が学校生活すら継続できないケースも想定せずに発表されていたとすれば、高野連幹部の責任も重大である。

 今回の見直しについては、現在の在校生が卒業するまでの暫定的措置との事であるが、該当する生徒に与えた精神的ダメージは大きく、現在開催中の各地方での大会に出場できなかった選手や、出場を辞退した学校もある事から、遅まきながらも夏を目指してこの問題については封印すべきだと主張したい。

 近年では、冬の雪の影響で勝ち進む事が難しかった東北地方や北海道の高校においても、練習環境が整った事から活躍し優勝する事も可能となってきた。練習量の差によって西高東低だった高校野球の格差が無くなったようにも思われるが、現実には資金を投入した私学だけの話で、多くの公立高校においては雪によって泣かされたままでもある。

 一方においては、少子化傾向による生徒数減少を見越した私学の生き残り対策として、手っ取り早く知名度を上げる事が可能な『高校野球』への偏重報道にも苦言を呈しておきたい。同じ高校生でありながら、テレビや新聞に取り上げられるスペースが格段に違う事から、高校野球にかけられる私学の予算は格段に多い。

 今回の騒動の源は、プロ野球側から選手や監督に渡っていた『裏金問題』であり、過去の反省もなく旧態依然のままであるプロ野球の責任を問わなければならない。私の個人的偏見かもしれないが、このような金銭にまつわる問題が続くと、プロ野球だけでなく、汗と涙の高校野球までもがひじょうにダーティーなイメージに変わってくる。

 かつての夢と希望で憧れたプロ野球選手や、真夏の厳しい大会を勝ち進んだ甲子園大会の栄冠は見事に崩れ去ってきた。密約と裏金を払拭し、心を揺さぶられる試合を観戦させて欲しいものである。
                                 5月11日の一言

久々の長嶋監督の姿に涙

 雨で早朝の会報配布ができないために、本日は午前中にとっていた仮眠の時間が久々のテレビ視聴の時間となり、スポーツから国際情勢までまったく情報音痴となっていた自分を自覚させられたのである。

 市民の皆さんから返信されてくるアンケートの苦情に、ずいぶんと減ったものの「市役所の職員がヒマそうに新聞を読んでいる」との指摘がある。市役所の仕事中に新聞を読む事は絶対に禁止されなければならないが、茶の間でテレビやインターネットを通じて次々と最新ニュースが入ってくる現代社会の中では、出勤前に新聞やニュースを耳にしていなければ、休憩時間や昼休みでも新聞やテレビニュースなどで世間で起こっている事件を知っておく事も行政マンとして必須でもある。
 以前のことであるが、近隣の都市で起こっている事件について、市役所の担当職員が把握していない事があった。「こんなに大きく報道されているのに?」の疑問に、「勤務中テレビを見る機会がない」との情報不足が当然となる返事が返ってきた。
 市役所に限らず、民間の職場では尚更の事に、仕事の忙しさによって新聞テレビと無縁な生活が続く事もある。自己反省でもあるが、忙しさにまみれて社会の幅広い情報が不足すると、物事を考える視点が偏ってしまうので、注意が必要である。

 さて、桑田真澄投手や仁志選手の情けもない放出劇や、清原、元木といった看板選手を情もなく捨てた読売巨人軍に対して、昨年の一言に巨人ファンを辞める宣言をした。辞めても好きな球団もなく、野球そのものの魅力も感じなくなっていたが、宮崎キャンプを訪れた長嶋茂雄終身監督の姿が放映され、それを見ていると涙がこぼれそうになってきた。
 周りに家族がおり、涙を必死に堪えていたが、「ナガシマー!」と飛び交うファンの大声や、同行した張本氏から「泣いていた老夫婦がいた」と聞き、溢れ出す涙が自分一人ではないことを知らされた。
 この自然に溢れ出す涙の原因は自分でも判らない。脳梗塞から長い闘病生活とリハビリを経て、元気な姿を見せた姿に感動したのか、かつての懐かしさと父親に再会したような気持ちかは判らないが、この映像を思い浮かべるだけでも涙が溢れてくるのである。
                                    2月18日の一言

硬式野球チームの練習場探しに

 横井庄一記念館は、毎週日曜日のみ開館しているが、一週間交代でボランティアが入れ替わり、明日が津島市(私)の人々の責任となっており、朝から晩まで記念館の一日となる。
 会報の配布によって届けられるアンケートや手紙もそうだが、直接相談を受けた案件に津島市内を廻っていると、旧知の人々とも顔を合わせ、必要以外の話にも発展する。
 そんな中で気になるのは、まったく根拠や裏付けのないウワサ話がひじょうに多い事である。主役とされる当事者がまったく知らないデマがまことしやかにささやかれ、我々議員のもとに伝わってくると、既に決定したかのように錯覚する事となってしまう。

 本日はウワサが先行する土地の関係者を直接訪問し、世間のウワサとはまったく違う、実際のスケジュールを耳にした。こんな実際とは違うウワサ話でも、ウワサを信じて何らかの相談をする人は、挨拶に手土産を持参している可能性が高い。(政治家への寄付や手土産は、公職選挙法で禁止されており、私の事務所では一切の受け取りを禁じていますので念のため、相談は無償で受け付けています)

 さて、人のやらない(やれない)事に手をつけた人は、人に判らない苦労をしているのである。津島市でも3年前から、硬式野球のボーイズチームができており、卒業生は高校に進学し、高校野球でも活躍をはじめているとの事である。
 ただし、練習するグランドの確保に苦慮しており、来季の練習場探しに指導者は四苦八苦している事から、知人に伴われて我家を訪問されたのである。恥ずかしい話だが、かつては高校野球(夏の高校野球が朝日新聞社の主催のため)との縁も深く、そのような情報も耳にしていたが、最近では全くの情報音痴であった。過去に硬式チームの設立を望みながら、名古屋や近隣都市へ子どもを送迎し続ける保護者の姿を見ていただけに、立ち上げた指導者に喝采を送り協力を惜しまないが、練習には広い敷地を必要とする事から、微力ながら歩きだした次第である。

 「土地ならいくらでもあるでしょう」と言われても、対象が『たんぼ』では笑い話となってしまう。「どんな荒地でも土を入れ、雑草を刈り取り整地する」との話ですので、情報があればお知らせ下さいと、PRして本日の一言としたい。
                                   2月10日の一言
追伸 津島市だけでなく海部郡から稲沢市、名古屋市までを対象に探しています。

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