大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

長野県

毎年のアンズジャム作りです

愛知県は終日雨となりました
我家のアンズ
事務所前のアンズ




ジャムになりました 
裏庭のアンズです

 
本日の写真です。

本日、愛知県は朝から晩まで激しい雨が降り続ける一日となりました。

 貼付したアンズジャムは、我家に2本のアンズの木があるため今から二十年以上前から当たり前に作られてきました。

  2020年6月7日


事務所前のアンズは長野県更埴市出身の知人からいただいた樹木で、この木に咲く花が綺麗だと地域で評判になったため、私の父親が何処からか購入してきたのが裏庭のアンズの木です。


 2014年6月7日


同じアンズの実ではありますが、花も結実も事務所前のアンズが一週間ほど早く成熟し、事務所前のアンズは黄色で柔らかく、裏庭のアンズは大きく桃のように赤みがさしますが、今年は一気に温かくなったため、同じように成長しておりまもなく裏庭のアンズも熟してきます。


さて、しばらくはアンズが熟してジャム作りが続きますが、5月のサクランボからアンズ、そしてこれからブルーベリーが実をつけますが、年齢を重ねたことで月日の移り変わりが早まっており、気がつくとあっという間に秋の柿が終わっているのかも知れません。


旧中仙道の宿場宮ノ越を歩いて

木曽11宿 宮ノ越の宿場 

 巴淵

 巴淵

長野県木曽郡木曽町日義

 木曽川上流

 木曽川下流


木曽川が巴状に渦巻くであったことからこの名がある。巴御前がここで水浴をしたという伝説が残る。


 散策マップ

JR 宮ノ越 駅

改札口

駅ホーム

渡線橋

作業車両

義仲橋

木曽義仲館

義仲館正面

木曽義仲と巴御前

玄関

館内

館内ホール

日照山 徳音寺
長野県木曽郡木曽町日義

寺標

徳音寺入口 

 参道の三十三観音

山門
徳音寺は、長野県木曽郡木曽町日義にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は日照山。本尊は聖観世音菩薩。 

 本堂

 境内

 巴御前の銅像

 つらぬき石

 観音堂

源義仲公の墓所 

 中央奥が義仲公のお墓

 山門上 の鐘楼

 宮ノ越本陣周辺の町並

宮ノ越本陣跡 

 本陣 入口

 本陣建物

 本陣横の駐車場

 本陣横の農業遺産

疎水 

 本陣の案内板

明治天皇 宮ノ越 御膳水 

御膳水の案内板

日曜日(14日)の写真です。

木曽義仲
源 義仲 は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。 ウィキペディア

 先週日曜日に訪れた中山道 宮ノ越の宿場の写真を添付しました。

木曽義仲公が亡くなってから1000年以上経過していますが、この地から遠く離れた京の都まで、戦い抜いて進軍していったと考えると感慨深いものを覚えます。

宮ノ越を流れる木曽川を眺めて、川の流れと水の清らかさは当時と変わらないと考えると、今でも義仲公の姿が拝めそうな気持ちになってきます。

何よりも本陣等の歴史的な史跡が無料で開放されていることと、観光資源に頼らず自立して生活する 宮ノ越の人々の自尊心を感じずにはおれません。

この地の木曽川に流した木の葉が、何日で私の住む 愛知県に到達するかは分かりませんが、投じた木の葉を何日でも待ち続けてみたい心境と、川の流れに身を任せて自宅へ帰りたいと思わされました。

一年間の旅程をふりかえって

本日も一日が終わりました

本日の写真です。

今年は膠原病のため6月と7月の上高地にドクターストップがかかり、コロナ禍の中で外出が出来なかったと思っていましたが、上高地は4月から11月までに13日訪れており、四国遍路も3月、9月に2回と10月、12月に訪れていました。

そして、上高地と四国遍路しかないセカンドライフの中で、8年ぶりにご開帳となった善光寺と諏訪大社や、桑名では人生初体験となった火渡り神事も体験し、安曇野や京都の真言密教の古刹も訪れていました。

膠原病と共存していることで、出かけられる時に積極的に出かけるようにしており、結果的に2ヵ月のドクターストップはあったものの、コロナ禍で外出ができなかった昨年よりも多くの場所に出かけていたことになります。

本日は一年間の外出を読み直してみました。

2022-12-03
2022-11-15 
2022-11-01
2022-10-26
2022-10-10 
2022-09-18
2022-08-14
2022-07-02
2022-06-12
2022-05-21
2022-05-15
2022-04-23
2022-03-20
2022-02-13 
2022-01-23

来年はもっと外出したいと思っています。

安曇野市の古刹 松尾寺と満願寺

3日(木)の写真です。

満願寺駐車場
長野県安曇野市穂高牧1812

本堂への参道

本堂

栗尾山満願寺の扁額

満願寺は、長野県安曇野市にある真言宗豊山派の寺院。山号は栗尾山。千手観世音を祀っており、信濃三十三番札所の二十六番札所である。「信濃高野」とも称される。 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 本尊は千手観世音で、神亀年間(725年ころ)に、池から出現した1寸8分(約5cm)の仏像を安置し、堂宇を建立したのが創建の由来であると伝わる千三百年の歴史を刻む古刹ですが、

1870(明治3年)の廃仏毀釈により廃寺となった。6年後の1876年に再興された。

鐘楼堂

観世音菩薩像

聖天堂

由来

境内

弘法大師 空海像

納経所

庭の剪定中


 お経橋のたもとには地蔵堂が建ち、中には500体に上るお地蔵さまが祀られている。子授け地蔵として古くからの信仰を集めており、この地蔵を借りて行って添い寝すると子宝に恵まれると言われると発信されているが、残念ながら山門は訪れておらず、何よりも“安曇野の名水”として知られる標高900mの境内から湧く湧水を知らずに参拝してしまいました。


道祖神

安曇野から見える北アルプス

ここからは松屋寺です。

松尾寺公園入口

長野県安曇野市穂高有明7327

案内板

藤棚

紅葉したドウダンツツジ

山門への参道

山門

参道

本堂への石段

鶴王山松尾寺本堂


松尾寺は 長野県安曇野市穂高有明に在る高野山真言宗の寺院。山号は医王山。院号は常楽院。本尊は薬師如来。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 『長野県史』では本尊を安置する薬師堂を造営したのが支族の古厩氏である盛政で、創建自体は白鳳2年(651年)までさかのぼるとしているが、信府統記によると1528年、仁科盛政を開基として中興されたとされたともある。本尊は薬師如来。

 どちらにしても残念なことは、満願寺と同じく明治の廃仏毀釈によって、薬師堂(本堂)と仁王堂を残してすべて取り壊されてしまったことで、お寺周辺には、桜、水芭蕉、カタクリ、藤棚、ボタンなど、季節によっていろいろな花が楽しめると言い、大規模に藤棚や公園内には郷土資料館もあるのでゆっくりと訪れたいお寺です。

案内版

静かな境内

大師堂


地蔵菩薩

水車小屋

寺伝

樹木に囲まれた駐車場


安曇野


弘法大師空海が誕生したのが774年のことで、高野山開創が勅許されたのが816年であることを考えると、715年に池から出現した仏像を堂宇に安置したとされる満願寺の歴史は古く、松尾寺が651年に創建された(1528年創建との説もあり)とすればとてつもない歴史を有していることになります。


 長野県の松本市や安曇野市に、こんなに歴史のある古刹が残されていることには驚きで、参拝する人の姿は無かったものの、参拝できる環境が整っており感動の参拝となりました。


3日はその後午前中に上高地へ入り、田代橋から小梨平まで巡視した後の午後は、環境省ビジターセンター前で望遠鏡を出して定点解説中の先輩ボランティアを手伝って一日の活動を終えました。


週末は上高地とその周辺まで

 わが家の柿

今年は豊作です 

 キバナコスモス
本日の写真です。

週末の高野山行きが突然中止になったため、急遽上高地へ行くことを決めましたが、宿泊する施設が満杯となっており土曜日だけの上高地となりました。

 土曜日には18名のボランティアが活動申請しており、宿があれば日曜日まで滞在したかったものの、一日だけの上高地となります。

突然の上高地行きですが、予定されていた高野山への同行がキャンセルとなり、なんとか上高地の紅葉に間に合いました。

 ありがたいことは、本日の午後に環境省の活動カレンダーへ登録されてから複数のボランティアから連絡があり、闘病中の身体を心配するとともに、元気ならと次の活動への誘いがあったことで多くの仲間の存在を実感させられました。

何よりも9月に千葉へ帰るかもしれないと言っていた渡辺画伯が滞在していることで、仲間との仲介を頼まれていた約束が果たせそうです。

諏訪大社 下社 秋宮

諏訪大社 下社 秋宮

                長野県諏訪郡下諏訪町5828













秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。

毎年8月-翌1月に祭神が祀られているため、秋宮とよばれている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。




先週末の写真です。

先週土曜日に訪れた諏訪大社の写真です。

境内で結婚式をあげる新郎新婦とご両家のご家族を見送りました。

本日は負傷中の手を休めるため写真の添付だけになりました。


諏訪大社 上社 前宮

諏訪大社 上社 前宮
                     長野県茅野市宮川2030



 前宮(まえみや)は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内には水眼川(すいががわ)が流れる。

上社の中で一番古い社で、かつては祭事の中心地でもあった。




 江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格[86]を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されている。

 現在の祭神は八坂刀売神となっているが、これは続日本後記に記載されている「前八坂刀売神」から発生した後世の解釈である

 一之御柱




名水「水眼」

 二之御柱

 三之御柱

 四之御柱



21日の写真です。


諏訪大社の上宮本宮

信濃國一之宮 諏訪大社

上社本宮 長野県諏訪市中洲宮山 1  


諏訪大社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。






祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)

21日の写真です。

 諏訪大社の御柱については誰もが知る存在と思いますが、全くの不勉強で諏訪大社はひとつと勘違いしており、諏訪大社には上宮の本宮と前宮があり、下社には春宮と秋宮の四社が存在することを、今回の訪問で初めて知りました。

 上社本宮には本殿が設けられていない。本宮の神体は現在守屋山と一般的に認識されているが明治時代の始まりまでは諏訪明神こと建御名方神の「御正体」とされた諏訪氏出身の(おおほうり)大祝が上社の神体ないし現人神として崇敬されていた。

 土曜日に訪れた諏訪大社の写真について、明日から添付していきます。

降雪は何もかも真っ白の白紙にしてくれます

午後まで雪が残った愛車

昼頃の我家

同じく午後の車

愛知県のコロナ情報


長野のコロナ情報

環境省からのメールです。


 数日前から新型コロナ感染を避けて長野県松本市まで行く方法を考えてきましたが、本日の正午過ぎに環境省から明日に予定されていた定例会を中止する旨のメールが届き、家族から心配される中を移動しようとしていたものの、それも無駄な苦労に終わってしまいました。


 昨日の一言に、バスと電車を天秤にかけた書き込みを記していましたが、どちらにしても人が密集する名古屋駅を通り、バスの車中では感染者がいるだけで濃厚接触者になるため、雪道を安全に車で走行する覚悟を決め昨晩タイヤチェーンの確認をしました。


 ところが夜になって激しい雪が降り始め、本日早朝には患者さんの移送を依頼されていたため、空模様が気になり何度も確認のため外を眺め、朝は家内の車にチェーンを装着する覚悟で目覚め、家内は雪道の走行を確認するため試運転へ出かけました。


 準備万端で家内と2人乗車で移送する対象者のお宅へ出発しようとした瞬間になって依頼者からキャンセルの連絡が入り、昨日に積雪の予報から日程変更をお願いしても頑強だった依頼によって、心配な一晩を送ってから出発直前の中止決定には本当にハシゴを外された心境になりました。


 結局は前日に全員日延べの連絡を入れたため、本日の福祉有償運送はお休みとなり、無情にも雪道の移送を希望する会員以外の電話だけが響き渡る午前中となりました。


 そして、昼には明日予定されていた環境省の定例会中止の連絡が入り、週末に雪道を走行して松本まで走る心配も無となりました。


管理栄養士さんからもらった絵手紙です

本日の写真です。

 3ヵ月毎に訪れる管理栄養士さんの栄養相談があり、同級生とともに津島市保健センターを訪れました。年末年始は餅をはじめ食べ過ぎており、昨年10月から70キロ前後で推移していた体重が1キロほど増加しており、間食が増えていることもこんな機会に自覚させられます。

 次の相談日は3月の予定ですが、それまでに体重を落とすことよりも足腰の筋力を高め、身体全体のストレッチに心がけ、4月の上高地開山と四国遍路にそなえたいと思っています。

                            1月14日の一言
                 本日の体重71,3キロ 徒歩数2502歩

これでは外出できない オミクロン株の感染拡大

名古屋テレビのコロナ情報


長野放送のコロナ情報


環境省からのメール


 今週土曜日に松本市で予定されている環境省の定例会に参加する予定ですが、一昨日には大寒波によって木曽路の木曽福島や木祖村の国道が圧雪により通行止めになっており、車での長野入りは完全にあきらめ、JR中央本線の列車か名古屋と松本を結ぶ長距離バスにするか迷っていると、急速に拡大した新型コロナの情報や、環境省から万が一の中止も含めて金曜日の正午に判断する旨の連絡が入りました。そんな訳でバスの予約もできません。

 ワクチン接種券が昨日届いたため、本日はかかりつけ医で3回目の予約をして、25日に私が接種を受け、家内は日をずらして27日に接種を受ける予約を済ませており、それまで周りから感染しては大変なため、今回の松本行きについても列車とバスとどちらが安全か真剣に悩まされます。

そんな中へ…

ボランティア仲間からのラインです。


 私と同じように遠方から松本市へ出向く予定だったボランティア仲間から、社内に感染者が出て濃厚接触者になったため定例会出席をキャンセルしたとの連絡が入ってきました。


「こりゃーあぶないなァ」

     「本当だね」

「どうしようかな?」

     「やっぱり止めるの?」

「バスにするか、電車が良いか…」

     「えー、お父さんには止めるという選択肢は無いの?」


 第三者から感染させられずに松本まで行くために、バスと列車のどちらが安全かを真剣に考えていましたが、知人のキャンセルという現実の中で、万が一感染すると私だけでなく家族も濃厚接触者となり、毎日病院まで搬送している福祉有償運送の患者さんたちの移送ができなくなってしまいます。


 さて、どうしたものか…


 ちなみに、明日早朝から依頼されている病院からリハビリ病院への移送ですが、東京から駆けつけた娘さんが同行していく予定でしたが、搬送先の病院から東京から来た家族が同行したら患者さんを受け入れないと厳しく言われ、同乗する私たちも危険と隣り合わせであると実感させられます。


 現実には私の事務所の1階は三男が接骨院を営んでおり、私の感染は私と同居する息子たちの仕事やお客さんにも影響することから、危険と隣り合わせの行動は自分だけでは済まず、何のために3回目のワクチンを予約してきたか判りません。


 私の住む愛知県の感染者数も急増しており、感染地域からの訪問によって他人へ感染させる可能性も考えると来週予定している四国遍路についても、ワクチン接種後に感染者数が減少するのを待った方が国や自治体の判断ではなく自分や周りの人のためにも賢明かもしれませんね。


 知人から届いたラインの内容から新型コロナの厳しい現実を身をもって実感させられました。


本日の名鉄電車 患者さんを搬送した休憩中の写真です

動画

名鉄のシンボルカラー赤い列車

電車で豊川稲荷へ行こうと話していましたが…

本日の写真です。

 県外への移動どころか、今回のオミクロン株の感染力を考えると、駅や電車だけでなく買い物に訪れるスーパーですら危険と思える世情になってきました。
                              1月13日の一言
                    本日の体重71,1キロ 徒歩数3205歩

愛知県の水源 木祖村味噌川ダム


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我家の本日のアンズです

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見事な水量に見えますが…

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直前まで水不足が報道されていました

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落差の大きさに驚かされます


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味噌側ダム管理棟


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石組みによるダムです

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ふれあい館

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高さ140メートルのロックフィルダム

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 先週の上高地の帰り道に木祖村の味噌側ダムに寄り道しましたが、木曽川の源流にあたり我々の住む中京圏の水がめとして貴重なダムであり、木曽川に建設されたダムとしては最も堤高が高く、最も新しいとのことです。

 ダム湖(人造湖)の名は奥木曽湖(おくぎそこ)というそうですが、ここをはじめ木祖村の水が我々の住む愛知県の広大な木曽川を流れてくることと、木曽川と言うと御嶽山の麓から流れてくると勘違いしている人々に木祖村の魅力を発信していきたいと思っています。

 そういう私も、半月ほど前に水不足の報道によって、味噌川ダムの水が我々の生活に大きな関係があることを知ったしだいで、一年を通じて豊富な水量を誇る木曽川の源流にあるダムが大きな役割を持っていたんですね。

 さて、今年度における上高地の外来植物調査の分担として、田代橋から小梨平の梓川両岸に生える「センダングサ」の担当になり、センダングサそのものは我々の住む地域では見慣れているものの、発芽直後や成長期の葉の判別が難しいことと、間違って除去してはならない事から、早急の勉強が必要になってきました。

                                    5月29日の一言

水木沢天然林 木祖村


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木曽川の源流となる水木沢

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駐車場は貸切状態です

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入り口の道標

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沢と天然林

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太古の森

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整備された散策路

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 上高地の帰り道として、観光目的で訪れていた4年前までは、岐阜県の旧丹生川村から高山市を経由して愛知県に帰っていましたが、3年前から環境省に登録されたパークボランティアになり、環境省から指定された松本側の沢渡駐車場に車を停めるため、松本市や木祖村を通って行き来するようになりました。

 そんな関係から、木曽川の源流となる木祖村や木曽路のお寺や旧跡を訪れるようになり、過去の一言にも記してきましたが、昨日は上高地の帰り道に木祖村の水木沢天然林を訪れました。


 さて、添付した写真でも判るように、水木沢の水は平成の名水100選に選ばれていますが、名水と言っても生息するサルや獣のフンによって大腸菌に犯されている可能性があり飲むことは自己責任となります。

 そうして考えると、上高地の水源となる清水川は300メートルで梓川に合流し、六百山から湧き出たばかりの水のため安心で、過去にペットボトルに入れて半年後に飲んでも異常がなかったことから、名水と言うよりも霊水とか秘水と言ってもよいでしょうね。

 水木沢にはイワナの人工産卵場の看板が立っていましたが、黒いイワナが動く姿も見えました。天然林に整備された2時間程度の散策を考えていましたが、熊に注意の看板だけでなく、周囲に人は誰も居なかったため早々に退散しました。

                                    5月13日の一言

削除される写真の中から 御岳山里宮


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日中でも神々しい場所です

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神社入口です

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御岳神社黒沢口里宮

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こんな急な階段です

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御嶽山明栄講霊神場

 携帯電話のカメラに保存してある写真を削除する中で、この一言に紹介する予定で残していた写真も役務的に消しており、先月26日に訪れた御岳山の写真も消している途中で気づいてここに添付しました。

明栄講  開祖・覚礼  愛知県海部郡甚目寺町新居屋
尾張国の覚明系御嶽講。寿覚(福寿講講祖)の系譜を継承し、開作(上田松尾講)にも師事した覚礼が設立。1861年(文久1年)に若者組として設立された山田組が起源。1874年(明治7年)に明栄講に改組した。甚目寺町の明栄分祠殿が主な拠点。明治中期にいろは順に組を制定した。多くは木曽御嶽本教に所属しているが、一部は御嶽教に所属している。稲沢にある稲沢明栄講は、同地の御嶽神社(稲沢市稲葉三丁目)を拠点としているが、その護摩は「御嶽教明栄講の護摩修法」として市指定無形民俗文化財に指定されている。御嶽山黒沢口四合目の護摩堂原霊神場に霊神場がある。(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」)

 今年は四国遍路に一度も訪れておらず、春に西国三十三観音を巡礼していたことと、2年前から御嶽山に願をかけていたことから、多くの西国と御岳山の写真を破棄していました。

 毎日記すことをノルマとしていますが、一日に数枚の写真を添付してメモリーカードから大量の写真を削除している現状に、今後は記録としても残して記していきたいと思っています。

 添付した御岳神社については、我が家の先祖も、母親の父も先達をしていたことも含めて、家の中心に神棚が祀ってあることから、子孫への継承の意味でも書き記しておきたいと思います。

                                   11月10日の一言


御嶽山霊神場に建っていた大師堂(空海)に


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今まで気づかなかった建物を訪れました 御嶽山四合目

大祓滝・田中旅館 https://visitkiso.com/hotels/65/detail/
長野県木曽郡木曽町三岳2841-2

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ご本尊は弘法大師像でした

 2年ほど前から御嶽山四合目の日の出滝前の明栄講霊神場を訪れていますが、100メートル離れた田中旅館の看板は見ていたものの、そこまで足を運んだことがなかったため昨日訪れてみました。

 この旅館も、祖父の石碑のある霊神場の前にある日の出滝旅館も、私が小学生の頃には明栄講の御嶽山参拝に祖父や家族と宿泊したことがあり、懐かしい気持で訪れたところ、その前に祠があり、建物に入ると真ん中に弘法大師の大きな尊像が鎮座しており、その両側には地蔵菩薩と不動明王の像がありました。

 四国の僻地や山野を修業の場としていた空海が、中国から継承して伝えた大日如来をご本尊とする真言密教と、山岳信仰と厳しい肉体的修行が基本となる御嶽神教信仰は共通するものがあり、違和感無く祠の中で読経していました。

 ただし、建物は朽ちかけて雨漏りがしており、誰も参拝しなくなった扉は開いたままで、雨や風が降り注いで道路から泥水が入り込んでいました。ここを通る観光客の車が、祠から出てくる私の顔や姿を見たら驚くでしょうね。

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明栄講霊神場の前にある日の出滝旅館

長野県木曽郡木曽町三岳2841−9

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祖父の石碑のある霊神場

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そして、ここにも厳しい現実が…

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新しい霊神場移転予定地はヒメジョオンの花畑に


 2年前から上高地の帰り道に必ず訪れることにしている霊神場ですが、昨年の地震によって傾いたままの石碑も多く、ここで参拝に訪れてくる信者や遺族関係者と会うことはほとんどなく、新しい移転予定地となっている霊神場には、草花を踏み分けていかないと石碑に辿り着けません。

 添付した弘法大師の祠と同様に、ここにも再建するためには巨額な費用が必要となっており、家族や親族にも御嶽山信仰と無縁になっている人が多いことと、連絡すらできないお宅が存在するため、大きく告知された連絡を求める看板の効果があるとは思えません。

 私が頑張ったところで来年からは年金生活者となる現実から、御嶽山全体の問題でしょうが残された大量の霊神碑の維持と再建には厳しい道行きを感じさせられます。

                                      7月2日の一言

上高地 開山式が行われて



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開山式前のセレモニー  アルプス(アルペン)ホルンの演奏

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午前10時 ホテル白樺荘前

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演奏の打ち合わせ中

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ここでの演奏も魅力的です

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河童橋は人でいっぱいです

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真正面  最高の位置取りです

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真横にも人がいっぱいです

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穂高神社の神主さんによるお祓い

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山の神様をお迎えします

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河童橋上のお神酒

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開山祭50年を記念する舛とピンバッチ

 上高地開山式が行われました。上高地の開山式は毎年4月27日に開催されてきましたが、昭和42年から50回目の開山式となります。

昨年の 上高地 開山式 2017/4/27

5年前の  吹雪の上高地 開山式  2013/4/27

                                             4月27日の一言

閉山式一日後の大雪にびっくりの上高地に


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本日午前10時頃の大正池ホテル前

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本日午後5時過ぎの大正池ホテル前

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本日午前9時50分の釜トンネル

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午前9時50分頃の沢渡

16日は平地でも積雪のおそれ 11月15日 17時52分

 昨日の一言で、「今年の閉山式も寒風吹く震えるような一日となり」と記しましたが、昨日は雪こそ少なかったものの、身体の震えが止まらぬような一日となり、本日のテレビニュースで上高地の積雪を知り、上高地ライブカメラは昨日で終了しているため、国土交通省松本砂防事務所の「北アルプス東麓防災情報」より、昨日通った大正池ホテル前と、釜トンネルに沢渡の写真を見てびっくりとしました。

 一日違いとは言え、昨日にこれだけの雪が降っていたら、首都圏から来た観光バスや、スタッドレスタイヤに交換していたものの、我家のタクシーもチェーンを巻かないと入れなかったと思われます。

 何よりも、閉山式の翌日となる本日に、後片付けして上高地を下ると語っていた関係者は大変な一日になったと思われます。
 そして、この寒波による雪を見て喜んでいるスキー場関係者の姿も発信されていましたが、私の長距離ドライブに出る気力は一気に減退してしまい、この雪が上高地だけでなく四国遍路も来年4月まで冬眠状態となりました。

                                   11月16日の一言

久しぶりに車中泊を楽しみ

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松本市のなぎさライフサイト 13日朝

 松本駅と松本インターの中間にあるショッピングセンターですが、ここにはスーパーマーケットやエイデンなど生活用品だけでなくドラッグストアやレストランもあり、24時間営業のツタヤや、スターバックス、くら寿司などがあることと、日帰り入浴施設もあることから、車中泊の車も複数停まっていました。


 松本市には3千円程度で宿泊できるゲストハウスや、宿泊を意識したネットカフェもありますが、環境が変わると眠れない人や、イビキが気になるひとには、豪華なホテルよりも車中泊の方が自由でストレスを感じることがありません。
 私自身は、家を出たままの環境にある車中はストレスがなく、車の車高が高いため駐車場所に困るものの、停められる場所の車中泊は心配もありません。

 もちろん、紹介した「なぎさライフサイト」は車中泊は迷惑かもしれませんが、夜間はツタヤしか営業していませんから、食事と入浴やゲームセンターを利用すればライフサイトの利益にもなり、自分の車なら環境の違いを感じることもありません。

 道の駅や公衆トイレのある場所を利用する車中泊の車も多いものの、夜間は孤独で危険も感ずるため、24時間営業のお店のあるスペースは安心感があり、道の駅のある場所にコンビニが隣接しているのが一番と思いますが、松本市の「なぎさライフサイト」も何とかお薦めできるスペースと思われます。

 一方で、食事の節制に心がけている人にも、豊富な食材から選択できるスーパーで食事を調達できる環境は、旅に出て食べ過ぎて太ってしまう心配もなく、私も松本市の3日間で約1キロの減量に成功していました。

 今年はボランティアとして上高地へ出向く機会も増えますが、上高地で食事に気をつければ、恵まれた水と空気の中で、適度なウォーキングも可能なため、健康な一年間となる可能性も予感させられました。

            本日の一言 71、0キロ 徒歩数 1650歩 間食あり
                                     3月15日の一言

車窓からの雪景色

JR中央本線 塩尻あたりの車窓 2月7日(日)

 ドイツ南部バイエルン州バート・アイブリング近郊で、9日朝に列車の正面衝突事故が起こり、10名の乗客が死亡し、約80人が負傷する大きな列車事故となりました。先進国のドイツでの事故だけに原因が気になります。
 お互いに時速100キロで走る列車が正面衝突する事故で、自動列車停止装置がありながら事故が起こっており、報道では「運転士はどちらも直前まで相手に気づかず、ブレーキをかけていなかった可能性もある」と運輸相が会見していることから、自家用車でも自動停止装置が導入されだした時代にも、人為的ミスが重なると事故は防げません。

ドイツ列車事故、人為ミス可能性 現地報道、死者10人に
記事の続き…
当局は当初、負傷者の人数を約150人としていたが、その後約80人とした。在ミュンヘン日本総領事館によると、日本人が巻き込まれたとの情報は入っていないという。
 衝突は、見通しの悪いカーブの単線区間で発生。列車の速度はどちらも制限速度の時速100キロ程度に達していたとみられている。
 運輸当局によると、現場には事故防止のため自動列車停止装置が設置されていた。DPA通信によると、列車運行会社の報道担当者は、事故の1週間前の点検では装置に問題はなかったと説明しているという。ドブリント運輸相は9日の会見で「運転士はどちらも直前まで相手に気づかず、ブレーキをかけていなかった可能性もある」と指摘した。独メディアは事故時に人為ミスで自動列車停止装置が作動しなかった可能性を指摘している。

長野バス事故の遺族会結成 「真実知りたい」責任追及へ

 土曜日の東京の研修会と、日曜日に松本市を訪れた際に、私は鉄道を利用して行きましたが、私個人にとっては、我家の前がバス停のため、名古屋のバスセンターで長距離バスに乗り換えた方が雨天でも傘の心配がなく、料金も安価で気分的には気楽ですが、今回は長野県軽井沢で起こったスキーバスの事故があった直後のため、万が一のため鉄道を利用していきました。

名古屋発着 高速バス http://www.meitetsu-bus.co.jp/express/index

 日本国内においても時々死亡者のでる列車事故は発生しており、列車が絶対に安全とは言えないものの、決められたレールの上を走り、自動列車停止装置などを考えると、運転手の一瞬のミスや居眠り運転が乗客全員の命に関わるバスの危険性は否めません。

 しかし、国内の高速バスや長距離バスの路線は見事に都市と都市を結んでおり、私も過去に東京の新宿や北陸の金沢、四国の丸亀まで利用したことがありますが、運転手2人で運行し時間にも正確で安全面も心配ありませんでした。

 今週末に新東名高速の豊田と浜松間が開通し、車での移動が更に便利になりますが、先週末の東京と松本の列車への乗車は、私の旅心を触発し、来月に出かける松本だけでなく、京都にも在来線を利用して行ってみたいと、学生時代のような新鮮な気持になれました。

           本日の体重 71、8キロ 徒歩数 9244歩 間食あり
                                     2月10日の一言

昭和初期の上高地について熟読する一日に

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昭和14年の上高地大正池です

 本日は朝から福祉有償運送のボランティアに走り、「選挙後に訪れる」約束がしてあったNPO法人の申告について税務署に立ち寄り、担当者には税金の申告だけでなく、NPO法人の運営や、我家の節税対策についても聞くことになりました。脱税する気がなければ、税理士や納税関係団体よりも税務署の方が親切丁寧に節税対策を教えてくれます。

 さて、一年前から約束してあり、今週末に同行する予定だった長野県の善光寺参りですが、5月の臨時議会と重なるため家内が代理で同行することになっており、9人分の旅行保険の手配や、旅程について主催者と打ち合わせに伺いました。

 添付した雑誌の写真は、昭和14年の上高地の大正池で、現在の中日新聞の前身となる「名古屋新聞社」の発行した『中部日本大観』で、B4版172ページにわたって当時の観光地の写真が掲載されており、現在と対比させると時間が停まってしまいます。

 私の事務所の2階には、父親の残した日本画や水墨画とともに、昭和初期の美術や書道に関する書物や雑誌が保存されており、当時書き記された記載を読み直すと、情報化社会でありながら、史実を変えてしまったり、事実を忘れ去られていることも多く存在します。

 『中部日本大観』による上高地についても、昭和初期の記載は新鮮に感ずるため今後は転載していきたいと思います。

 この雑誌には、明治40年当時に、上高地は「カミグチ」とか「カミウチ」と呼ばれていた地名が、「カミカウチ」と呼ばれるようになり、「上高地」の字が当てられるようになったと記されています。当時は「神降地」(神が降りる地)とは言われなかったと思われます。
 
 伝説によると、この地は科野国(しなののくに)――今の信濃国――の開拓神である穂高見命の草創の地で、「神垣内」又は「神耕地」と言ったのだそうな。 … (中略) … 信府統記郡境記という書物に「上河内」と記してあるが、これが正しいのではあるまいか。

 記事を書いている「村瀬圭」氏によると、明治時代には河童橋が丸木橋で、絶えず流出していたことと、このあたりには山賊夜盗の輩の横行が甚だしかったことも紹介され、上高地に温泉宿が初めて出来たのは明治38年頃と記されています。

 一方で、当時の上高地は、現在のような観光地的な存在ではなく、飛騨越えをする人や、農商務省(農林省の前身)の役人や、測量に関係する役人が泊まり、上高地は牛馬の寄託放牧場として知られていたことも記され、雑誌が発行された当時に自動車道が出来たことと、贅沢な洋式ホテルが出来たとも記されています。

 事務所の2階については、横井庄一さんの遺品が展示されており、親の残した書や絵画を整理して、人の入れるスペースに清掃するのが目的ですが、書道史やアサヒグラフの美術特集や別冊を鑑賞すると時間が停まってしまい、整理や清掃ははかどりません。ただし、よくもこんなに多くのコレクションが残されたもので、ここに私の持つ書物や、いただいた書と絵画を持ち込むと大変な倉庫状態となりそうです。

               本日の体重 69、4キロ 徒歩数 2199歩
                                  5月11日の一言

続・本日も気持ちは上高地へ…

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 本日は予定どおり横井庄一記念館の一日で日程を終えた。と、思っていたら、夜7時には交通事故の交渉に立ち会う約束があり、久々に「田舎に泊まろう」が見えると思っていたが、またもや来週に持ち越しとなってしまったのであった。

 「オレよー、これが最後になるで、これから来れんでよォー」の一言は、昨年の横井記念館開館以来、何度も訪問されているYさんのつぶやきであった。奥さんが人工透析を受けておられ、Yさんも昭和3年生まれである事から、口癖のように語られる一言のようだが、館長(横井夫人)が昭和2年生まれで、ボランティアのTさんが昭和4年生まれである事から、見送る姿はいつも通りであるが、「また来て下さいよー」の声にも寂しさが感じ取れる。
館長が珍しく玄関から出て、道路まで見送った事が「何か」を感じられずにはいられなかった。何事もなければ幸いであるが…

 さて、これを記しているとゲストブックに美しい上高地の写真のプレゼントが…。私のパソコンの正面にも上高地のカレンダーが貼ってある。写真家の中沢義直氏の撮影したカレンダーは、明神池の穂高神社奥宮の社務所で毎年買い求めてくるが、6年前から保存しており、保存のきっかけは家内が月の変わりにカレンダーを破り捨てた事であった。

 こうなると仕事に身が入らず、上高地ビジターセンターの発行した散策ガイドブックとマガモ新聞にクギ付けとなる。こうなってしまうと記念館を記す気持ちも萎え、頭の中は上高地一色である。「癒しに繋がる事を希望しています」のコメントは十分に伝わりました。

 写真上から、明神橋で出合ったニホンザルの親子(16年8月)。中・明神池で寄ってくるマガモ(18年8月)。下は小梨平で深夜真っ暗の中でゴミを漁るタヌキらしき動物(13年8月)。その他、上高地にはオシドリやキジバト、イワナやカワマスなど(ヘビもいます)動物や昆虫の宝庫です。
                                    8月5日の一言
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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