本日午後5時26分の写真です。

日曜日午前6時46分の御嶽山
西野川

ほんしゃ橋

日野製薬里宮店 長野県木曽町三岳

御岳神社 社務所 木曽町三岳3793

鳥居

石段

本殿

本殿横の御嶽古道入り口 2合目付近

本殿境内から見る石段

降りてきました

元の道路と橋の遺構

その橋の右側の石段

平和観音

木曽御嶽本教の建物

太陽の丘公園 お祭り広場

日曜日午前10時21分の御嶽山


2日前の日曜日の話となりますが、御嶽山黒沢口4合目の日の出滝に隣接する明栄講霊神場へ午前7時に手を合わせたいと車を走らせると、目的地を目前にして道路は完全なる凍結状態で、まだ薄暗い道路を確認しようと車を降りると靴が滑って一歩も歩けない状態でした。

一瞬にして御嶽山は観光地ではなく多くの霊神の碑が居並ぶ霊山であることと、自分の都合だけでまだ陽も昇らぬ凍結した道路を進む私自身への神様と祖父(道成霊神)の戒めかもしれないと閃き、御嶽山の入り口となる里宮にも参拝していない無礼な自分への警鐘と頭に閃光が突き刺さったように感じました。

そんな訳で一度通った道路を戻って里宮の御嶽神社の社務所前に車を停めました。

そしてこれで今日の御嶽山も終わりかもしれないと思い、これまで急ぎ足で参拝を終えていた神社周辺を眺めると、社務所の裏側に石段があり観音像があるのを見つけましたが、観音像や祠に気がつく人は居ないと思われます。

西野川にかかる大社橋を渡ると、かつては現在の道路の北側に橋があった遺稿が残っていることが判り、私が初めて御嶽山へ訪れた際には通っていたことと、神社の本殿横から進む御嶽古道をかつては先達について歩いていたことも偲ばれてきました。

さて、御嶽山の頂上にある奥社は宝亀5年(774)に勅命を受けた信濃国司によって山頂に祈願したのが始まりと言われていますが、里宮となるこの御嶽神社も奥社と里社若宮とともに三社を以って御嶽神社と称されており、古い歴史を考えるとあまりにも疎かにしていたことが判ります。

かつては、御嶽山に参拝する人は限定され、しかも登拝する祭には「百日間精進潔斎」という厳しい修業をしていたことを考えると、観光やスキーで訪れる車と一緒になって自由に参拝できる現代社会の甘さも実感させられます。

私の祖父が大祭を前にして真冬に百日間も冷たい水を被って修業していた御嶽山の先達の厳しさを、何の修業もしないまま数回巡拝すれば先達となる四国や西国巡礼の甘さも、同じ先達という言葉は一緒でも全く次元の違う信仰の奥深さも思い知らされます。

そんな想いをめぐらせていると、鉛色で包まれていた御嶽山の霧が晴れて、わずかでも山頂の姿が拝めるようになり、輝くような陽射しによって立つことも出来なかった道路の凍結が溶け出し、神様の登拝の許しが出てきたように(身勝手に)悟り、再度霊神場を目指しました。

そして、到着後は濃い霧に包まれていた霊神場にも陽が射し、講祖覚明霊神や諸霊神に参拝していると、祖父の霊神場の隣にある「明栄講ろ組」の霊神場で、寒山登山の神事を準備中の教会長や先達さんから一緒に護摩行や神事に参加しないかとお誘いを受けました。

昭和46年に他界した祖父が生前中に行っていたお勤めや修業の回顧となる参拝となりました。護摩の焚き上げや神事は明日書き記します。