
高野山
三宝荒神社へ 金剛峯寺の西隣です
高野山の荒神様
朝一番の参拝
高野山入口 女人堂前
護摩祈祷の案内
日曜日の写真です。
志賀弘法会はメンバーが高齢化していますが、高野山参拝の前には必ず慈尊院を訪れ、金剛峯寺と奥之院のほかに、添付した三宝荒神社と女人堂、波切不動尊へは必ず立ち寄って参拝してきました。
かつては大所帯で八十年以上の歴史を重ねてきましたが、最近は高齢化だけでなく車イスも必要になり、今回の高野山は2台の車イスと同行する参拝となっており、運転手の私だけでなく家内の介助も必要になってきました。
四国遍路も参拝時は午前中は何も口に入れてはならず、帰宅する最終日の午後にならないと買い食いやお土産も購入できない厳しい巡礼でしたが、最近は私が良いと言えば代表から許しがでるようになりました。
そんな訳で、奥の院一の橋にある「あゝ同期の桜」の塔に立ち寄り、私個人が尊敬する鶴田浩二さんのお墓に参拝する間も全員で待っていただけるようになり、志賀弘法会の高野山の巡拝日程にも入っています。
時々ですが参拝中に、高野山を案内するガイドさんから「この奥に鶴田浩二の墓があります」との声が聞こえることがありますが、敬称の有無は別にしても、お墓は指さすものではなく手を合わせるもののため、せめて「合掌」でも薦めて欲しいものです。
奥の院には戦国武将から有名人のお墓も奉られていますが、「織田信長の墓」とか「上杉謙信」と敬称もなく呼び捨てにされるのを耳にすると、慰霊のために建てられた先人のお墓がないがしろにされているようで一抹の寂しさを感じさせられます。
明日は金堂で催されていた弘法大師生誕1250年法会や、壇上伽藍、御社、六角経蔵、宝亀院の参拝を貼付する予定です。
2022年12月22日の一言
コロナ禍で2年ぶりとなる志賀弘法会の高野山でしたが、車イスが2台必要となり奥之院の駐車場から参道を押していくことが困難になったため、宿泊場所となる総持院さんのご配慮によって、奥之院納経所横に車を停めることができました。
2021年11月22日の一言
「ここは撮影禁止なんですよ」と言っても、無視して御廟橋の奥でカメラを構える観光客と、注意もしない旅行社の先導役に、世界文化遺産になりコロナが沈静化して参拝客は増えたものの、燈籠堂奥の大師御廟前にも参拝しない物見遊山の観光客が増え、読経中の参拝客の横で遠くから神社のように投げられる賽銭が音を立てます。
志賀弘法会では数十年前から御廟前で豆を持って7回往復して参拝してきましたが、観光客の多さから高齢のメンバーでは危険なため今年は断念しました。ましてや、参拝目的でない団体の観光客と遭遇すると車イスは御廟前に行くことも困難となります。
宗努所へ
高野山は土曜日と日曜日に参拝を続けましたが、奈良県内で京奈和道路の整備が進捗したため、愛知県から大幅に時間短縮ができたことと、今回は奥之院の奥まで入れたことで参拝にかかる時間も大幅に短縮されました。
高齢のメンバーで、2台の車イスと同行する高野山ですが、納経所の温かい対応や案内によって日曜日は1250年を記念する法会の僧侶の行列も見物でき、総持院のスタッフの協力によって観光客では判らない名所まで足を延ばすことができました。
昨日の様子は明日に貼付します。
本日の写真です。
弘法大師が誕生して1250年を記念して企画された「空海とわのいのり」展が開催された名古屋市のささしまライブに行ってきました。
テレビコマーシャルと、電車のつり広告を見ただけで訪れたため、白衣と輪袈裟をジャンパーの下に着込んでいたものの、閑散とした会場にそんな人は存在せず、ちょっと拍子抜けの感は否めませんでした。
今から10年前にも、愛知県の常滑市で四国八十八ヶ所霊場会の主催した出開帳が盛大に開催されており、そんなイメージを持ったまま、四国八十八ヶ所分の賽銭を袋に入れて訪れ、会場でジャンパーを脱いだ白衣姿で参拝しようと考えていました。
2013年03月16日
現実には、弘法大師の生まれた善通寺や、満濃池を改修した場所にある神野寺など、東寺、神泉苑、高野山、慈尊院のお砂踏みだけで、お砂踏みの行列で1時間はかかると思っていた時間はあっという間に終わりました。
しかし、人が少ないことで、会場内の僧侶と会話ができ、会場の入り口で記念品を販売されていた善通寺売店の女性と雑談を交わしていると、善通寺の前管長である橿原禅澄さんの特別講演会が4月に開催されるという情報をいただきました。
名古屋では今週いっぱいの開催です。
本日のスマホにフェースブックの3年前の記事が現れ、3年前と変わらぬ生活を送っているように思っていましたが、添付していた志賀弘法会もコロナ禍で巡拝の中止が続き、代表者の体調の悪化も重なり昨年は知多半島だけでなく高野山にも訪れていない現実を再確認させられました。
雨の中を巡拝していました
満願の御礼参り 名古屋八事興正寺
2016年11月03日
大鹿一八「本日の一言」 : 遍路の難所 車イス利用者と岩屋寺へ巡拝 (livedoor.blog)
2017年10月31日
大鹿一八「本日の一言」 : 志賀弘法会 四国遍路満願の一日 (livedoor.blog)
5年前には車いすに座る弘法会代表を、四国八十八か所総ての大師堂前まで腕を担いで参拝した私自身も、昨年罹患した膠原病によってメンバーに心配されるような体調に陥っており、自分のお遍路だけで精一杯になっているのも現実です。
さて、三年前のブログを読み直してみると、1月には叔父が他界しており、新型コロナが蔓延する前のため当時開館していた横井庄一記念館にも足を運んでおり、本日は昭和47年に横井庄一さんが発見された日に当たるものの、記念館は館され横井さんを語れる人も存在しなくなったのも寂しい現実です。
本日早朝に岩屋寺から発信されたFacebookの写真です。
岩屋寺は愛媛県にある四国八十八か所のお寺ですが、標高八百メートルの久万高原にあるとは言え、高知県境に近い四国の中央部に位置しており、まさかこんなに雪が積もるとは思えない場所だけに驚きの写真として眺めました。
そして、雪は高知県でも…
高知県桂浜の写真
高知市では23日、明け方に雨が雪へと変わり、高知地方気象台によると、午前8時には観測史上最高となる積雪14センチを観測した。
高知城の天守も雪で覆われ、路面電車は一部で運転を見合わせた。市中心部では、車輪が空転する車を数人で押したり、転倒したミニバイクを通行人が助け起こしたりする様子がみられた。雪は夕方まで降り続く見込みという。 朝日デジタル新聞引用
そして、徳島県でも…
徳島地方気象台によると、徳島市では23日午前10時までの24時間の降雪量が10センチに達した。2013年に統計を取り始めてから最高の降雪量だという。
高知県で積雪を記録したということは四国全体が降雪に見舞われており、この日から四国遍路を始めたとFacebookに発信していた人や、現在巡拝中の歩き遍路には大変な試練となりますが、突然の寒波襲来とはいえこんなに厳しい降雪はお遍路の足を鈍らせてしまいます。
もっとも、コロナ禍においてはコロナウイルスに感染したり、濃厚接触者となって閉鎖される納経所も存在し、何も知らずに訪れて朱印がもらえないお遍路も多く、リアルな天候や道路状況と併せて納経所の閉鎖状況など四国の情報を集約するサービスが必要ですね。
奈良公園の鹿
奈良県警によると、京奈和自動車道の県内区間では午前6時~8時半、積雪や凍結が原因の交通事故が少なくとも5件相次いだ。このうち午前6時20分ごろに発生したトラック2台が絡む事故で、それぞれの車両の運転手2人が軽傷を負ったという。23日午後5時現在も御所南IC―橋本東IC間の上下線で通行止めが続いている。奈良国道事務所によると、通行止め解除の見通しは立っていないという。
【速報中】ヤマトと佐川、クリスマスを前に配達に遅れ 大雪の影響:朝日新聞デジタル (asahi.com)
先週日曜日(18日)の高野山は降雪に見舞われ、真っ白になるだけでなく道路が完全に凍結しており、あわてて下山して奈良県橿原市へ移動し、翌日は雪をさけて橿原神宮と大神神社へ参拝しましたが、本日の報道では奈良県も雪によって交通事故が相次ぎ、道路の通行止めが続いており、しばらくは外出を控えたよさそうですね。
18日の高野山
四国60番横峰寺に通じる有料道路は、12月末から2月末まで冬季通行止めになっており、冬季は雪を覚悟する必要のある高野山と併せて、冬のお遍路をシーズンオフとする人も多く、冬のお遍路は注意が必要です。
慈尊院山門
慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。
土塀
多宝塔と鬼子母神
弥勒堂
香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。
詳しくは→ 女人高野について | 慈尊院 (jison-in.org)
ゴンの碑と弘法大師像
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。
詳細は→ 高野山案内犬「ゴン」 | 慈尊院 (jison-in.org)
本堂
大師堂
多宝塔の奥が町石道入り口
狩場明神と空海の出会いの図
丹生官省符神社 正面参道119石段 一ノ鳥居
二の鳥居
拝殿
丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。
真言密教の聖地となった高野山ですが、今から1200年前にこの地で空海は漁師(高野明神)と出会い、山上に霊地(高野山)があることを教えられるとともに、連れていた二頭の犬を案内役として現在の高野山まで連れて行かれたと考えると感慨深いものがあります。
そして、善通寺から空海を訪ねて高野山へこられた母親の玉依御前(たまよりごぜん)を、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としていたため、この地で迎えられるだけでなく、月に九度は必ず高野山から会いに来られたと伝承されています。
八年前の話となりますが、この慈尊院から7時間かけて高野山まで歩いたことがありましたが、当時でも悲鳴をあげた町石道を今は歩く気力も沸かないことを考えると、大師は月に九度も往復していたという体力と強い精神力にも驚かされます。
2015年06月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 慈尊院から丹生都比売神社へ (livedoor.blog)
2014年10月20日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 町石道を金剛峯寺まで (livedoor.blog)
さて、高野山まで町石道を歩く人々を案内していた「ゴン」についても、1200年前に空海を高野山まで案内した2頭の犬の再来としか思えず、教えもしないのに高野山まで案内していた犬の本能と、女人高野と言われていた慈尊院へ病気治癒を祈願する女性が手を合わせている現代社会と、空海が存在した時代と目に見えない糸で結ばれているようも思えてきます。
今から15年ほと前の先達となる以前の話となりますが、空海が修行したと伝わる四国各地の修験場で空海が発したと言われるご真言を唱えていたことがあります。九度山の慈尊院のゴンと、丹生官省符神社の2頭の犬から当時の想いをよみがえらせてくれたように思います。
高野山奥之院 一の橋
あ、同期の桜
同期の桜の塔
高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。
毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓ですが、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄っているものの、今年は10月に予定していた弘法会の高野山参拝が中止になったため、半ば諦めていましたが何とか年内に訪れることができました。
さて、昭和62年に亡くなられた鶴田さんには、東京都の港区にある父方「大島家」と練馬区に母方「小野家」のお墓があり、神奈川県の鎌倉霊園には生前の本人の希望から夫人によって建立された本人のお墓があります。
この高野山のお墓は、高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢が鶴田浩二と同期の桜であったことから、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かっており、先に逝った戦友と三途の川原でいつでも話し合えることと夢みていたことから、鶴田さんの死後夫人によって建立されました。
お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。
2021-11-26
高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
2017年04月03日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)
今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。
仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。
2014年10月21日
大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)
初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み
2008年05月29日
大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)
平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。
生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。
鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。
12月20日の一言
本日の写真です。
本日は朝8時に愛知県を出発して、西名阪自動車道から国道25号、天理市から京奈和自動車道へ入り、かつらぎ西インターから高野山を目指しました。
道路は途中から真っ白となり、高野山が近づくと凍結状態となりました。
高野山の大門から中門の道路はツルツルの状態となり、金剛峯寺、奥の院御廟へ参拝を済ませました。
本日は一の橋にある同期の桜の塔に手を合わせ、私の尊敬する鶴田浩二さんのお墓にお参りしてから高野山を降りました。
本日は九度山町の慈尊院へ参拝を済ませ、これから橿原神宮の近くまで移動します。
もっとも、この方位学にこだわると、次に高野山(南西方向)へ行ける吉方位は来年9月8日から10月7日となっており、10月8日から翌月の7日まで吉方位が続くものの、その次は2年先の6月7月(6月5日~8月6日)となり、その次は3年先の3月と12月にならないと吉方位はありません。
ちなみに、特定の(日盤)日の吉方位は、今月18日、19日と28日の次が、1月5日と6日、1月15日と23日、24日、2月2日と10日、11日、19日、20日と28日、3月は1日、10日とありますが、上に添付した図からも判るように、「暗剣殺」などいかにも縁起が悪そうな方位も同じように存在します。
そうなると高野山だけでなく、同じ南西方向に位置する四国遍路も1年に一回とか2日間隔だけしか行けませんから真剣に考えたら行動もできず、現在はシーズンオフとなっている上高地の北東方面にも安心して行けませんが、こんなアプリを見てしまうと気になってしまいます。
さて、
さて、問題は…
本日の予報です。
高野山の天気予報は土曜日こそ雨のち曇りですが、日曜日と月曜日は雪マークがついています。標高が高いため高野山は雪になりそうです。
以前の私ならわずかな降雪など気にすることもなく目的地まで走ってきましたが、膠原病と言う持病持ちの老人になっていることから考えさせられてしまいます。
せっかくの高野山行きとなるので、雪道を無理して走らず、麓となる九度山町に車をおいて久しぶりに九度山駅から電車で高野山を目指した方が安全かもしれません。
四国遍路や高野山への参拝が後々後悔することのないようにしたいものです。
午後6時01分
今週は朝だけでなく午後も体調が不良で、静養して身体を休めていると夕方になってしまいます。
10日前の3連休には、朝から夕方まで元気に四国の石段を上り下りしていたことと比較すると完全に病人になっています。
週末の上高地行きを控えて、こんなことではだめだと身体を奮い立たせてウォーキングに出ました。
本日の写真です。
膠原病に罹患してから自分で自分の身体がコントロールできず、動かずに静養していても身体は楽にならず、苦痛なく身体が動いていても病院の検査で結果が悪いとどうしていいのかわかりません。
投薬により免疫細胞が抑制されており、コロナや風邪に感染すると大変なことになるそうですが、感染していなくても身体が重く、本当に感染したらどうなるのか心配がつきません。
さて、週末は上高地と長野県を訪れますが、上高地では一日に2万歩ほど歩くことになるため、本日はその予行演習でもありますが、何よりも最低気温が氷点下を示す環境のため、自分の身体にあった歩き方を心がけたいと思います。
本来の予定では滋賀弘法会のメンバーを乗せて高野山へ参拝するはずでしたが、メンバーに怪我人が出たため中止となり、突然の上高地行きとなりました。
本日環境省に連絡してボランティアに参加する申請をしたところ、複数のボランティア仲間と上高地に滞在する知人等から連絡があり、改めて上高地は自分の居場所であることを実感しました 。
ただし、上高地の宿泊施設は満杯の為、日曜日は松本市の古刹である真言宗のお寺を訪ねたいと考えています。
本日の写真です。
週末の高野山行きが突然中止になったため、急遽上高地へ行くことを決めましたが、宿泊する施設が満杯となっており土曜日だけの上高地となりました。
土曜日には18名のボランティアが活動申請しており、宿があれば日曜日まで滞在したかったものの、一日だけの上高地となります。
突然の上高地行きですが、予定されていた高野山への同行がキャンセルとなり、なんとか上高地の紅葉に間に合いました。
ありがたいことは、本日の午後に環境省の活動カレンダーへ登録されてから複数のボランティアから連絡があり、闘病中の身体を心配するとともに、元気ならと次の活動への誘いがあったことで多くの仲間の存在を実感させられました。
何よりも9月に千葉へ帰るかもしれないと言っていた渡辺画伯が滞在していることで、仲間との仲介を頼まれていた約束が果たせそうです。
本日の写真です。
さて、先週から今週末の高野山 参拝に同行するため外出を自粛していましたが、参加メンバーに複数のけが人がでたため中止する可能性が高まりました。
そんな場合は迷わず上高地へ目的地を変更することになりますが、そうなると何とか紅葉が残っていることと、北アルプスの山々に初雪が舞わないことを祈るばかりとなります。
上高地河童橋の朝
五千尺ホテルの河童橋ライブカメラの映像です
上高地が紅葉の最盛期を迎えています。残念ながら現地に行くことができず、五千尺ホテルのライブカメラを眺め、毎日更新されている上高地インフォメーションセンターの発信を心待ちにする毎日となりました。
釜トンネルが4月17日に開通し、27日に開山した上高地も来月15日には閉山祭を迎えます。
私が参加している上高地の環境省パークボランティアは、愛知県から行き来する交通費や宿泊代、食事代も自己負担ですが、残雪の残る上高地の芽吹きや、涼しい夏とともに最近の見事な紅葉の中で活動できるのは何よりも代えがたい魅力です。
そんな紅葉の最盛期に上高地に行けないことは残念ですが、膠原病の闘病中であることはもちろんですが、来週末に高野山まで人々を移送する仕事が入っているため当面は外出を自粛したいと思っています。
来週の高野山は私の10人乗りタクシーが必須となり、私の移送ができなくなると高野山や四国に行けないだけでなく、高齢化した滋賀弘法会の日頃の行事や弘法会そのものの存亡に関わってしまいます。
来週訪れる高野山の宿坊総持院は、滋賀弘法会が60年以上常宿にしているお寺で、半年前から予約して高野山へ参拝しているだけに直前の事故や私の体調不良も許されません。
そんなわけで来週の高野山が終わるまでしばしの辛抱です。最も体調も良くないので体調管理も重要な一週間となりそうです。
千枚通しです
過去に記していたヤフーブログを読み直すと、書いた自分自身でもびっくりとする書き込みが残っており、記されていない知人の名前と顔を思い浮かべて、当時のやり取りを必死に回想することになりました。
「医者は何とも無いと言うんだけど…」
「じゃー、大丈夫なんじゃないの」
「それでも何かを食べると吐いてしまい、何も食べられないから」
「そんなら、千枚通ししかないかなぁ」
「えっ、千枚通しって (怖いー) 」
大学病院の検査をはじめ、知り合いの医者を訪ね歩いても、「異常なし」と言われたものの、食事も一切口に入らないとの知人の話を聞き、「そりゃー、千枚通ししかない」との私の一言に、知人はびっくりした顔をしました。
知人は「千枚通し」を、先の尖った穴を開ける「千枚通し」と思い、この「千枚通し」で身体に穴でも開けると思ってびっくりとしたようですが、私の紹介した「千枚通し」は紙と言ってもオブラートのように薄いものです。
2010年07月12日
今から12年前のブログ記事ですが、ヤフーブログからライブドアブログに過去の記録として引っ越し、保存してあった記事が人気記事にランクされており、当時の何事もなく当たり前に記した記事も、読み直してみるとびっくりさせられる書き込みになりました。
四国遍路で入手した千枚通しです
千枚通しについては、一般的には事務用の千枚通しを連想しますが、四国遍路や高野山を参拝する人たちには目にする機会も多く、小さなオブラートのような護摩符が千枚入っており、朝晩水と一緒に飲めば、病苦を除き妊婦さんも安産になると言われています。
千枚通しの遠起を読むと、現在の別格12番延命寺において、松の木の辺りに一人のイザリが居るのを見た空海(弘法大師)が、何とかしてやろうと千枚通し霊符の1枚を授けたところ、微妙な霊験によって全快したことが現在に継承されてきました。
過去に病院では何ともならないと言われる人たちに差し上げてきましたが、科学万能の現代社会においては効能は定かではなく、私自身も病苦に陥った際に飲もうと置いてあったものの、昨年10月に手術を受けた際にも眼中にありませんでした。体調不良が続く今こそすがりたいと持ち出した次第です。
さて、四国遍路や真言密教を信奉する人たちには当たり前となる「三蜜」についても、最近ではコロナ禍の中で忌み嫌われる言葉ですが、弘法大師の教えでは身(体)、口(言葉)、意(心)がバラバラでなく、調和がとれているものを三蜜と言い、信心の目標にもされてきました。
過去に私自身が記した一言ですが、プライバシーに配慮して記名が無いため、今にして思うと思い出せない記載も多くなってきたことを実感させられました。
1月5日の一言
本日の体重 71,4キロ 徒歩数 4,563歩
本日の体重 71,4キロ 徒歩数 4,563歩
本日の写真です。
今年4月25日の長いも
こんな具合に植えましたが…
今年4月に植えた長いもですが、手の平ぐらいに成長していると期待して収穫したものの、実際には鉛筆程度しか成長しておらず、何とか寒い冬のあいだを保管して、来年にはもっと大きく成長させようと考えています。
もっとも、私自身は成長させることには意欲を見せるものの、収穫した作物を食べるのが可哀想に思えて、食べ頃を逃したり、食べないままに翌年の子孫の成長に期待する繰りで、長いもは大きくなるのに数年かかるので、来年の成長に期待します。
さて、本日は…
本日21日は真言宗の納め弘法会が各地で行われており、私はボランティアの患者搬送の合間に地元の弘盛寺へ参拝し、午後には患者さんを自宅へ搬送してから「阿息観」に参加してきました。
今年は6月に4日間四国遍路に訪れ、11月に高野山へ参拝し、今月も3日間四国を訪れましたが、来年からは毎月1回を目標にして四国を巡拝したいと考えています。
今年は入院して手術を受けたこともありますが、本人の承諾もないままに町内会の役員を強要された前時代的慣習から、コロナ禍で限られた行動期間ゆえに大きなストレスと化しており、自分のやりたいことはやりたい時にやる横着にも家族の理解が得られたようです。
12月21日の一言
アーカイブ
カテゴリー


















































































































































































































