大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

鶴田浩二

高野山の女人堂、波切不動尊と鶴田浩二さんのお墓へ

宿泊した総持院から

三宝荒神社へ 金剛峯寺の西隣です

高野山の荒神様

朝一番の参拝

高野山入口 女人堂前

護摩祈祷の案内

女人禁制の立札

交通安全地蔵尊

お竹地蔵尊

浪切不動尊

本堂

拝殿

天井

輜重兵第34聯隊鎮魂碑

一の橋

奥之院への参道

あゝ同期の桜の塔

ここには旧日本軍、海軍第14期飛行専修予備学生(特攻隊)戦没者の慰霊塔で、生き残った同期生で高野山大円院住職を務められた藤田光幢住職が、同期生の戦没者の供養を生涯の責務としておられ、同期生や戦死者の遺族とともに昭和42年に建てられたものです。

そして、特攻隊員ではなかったものの、戦友の慰霊を重ねていた同期の鶴田浩二さんも亡くなる前年までこの塔の前へ楽団を連れて慰霊の演奏会を続けており、没後に藤田住職の計らいで塔の真後ろに「小野家」のお墓が建立されました。

鶴田浩二さんのお墓
日曜日の写真です。

志賀弘法会はメンバーが高齢化していますが、高野山参拝の前には必ず慈尊院を訪れ、金剛峯寺と奥之院のほかに、添付した三宝荒神社と女人堂、波切不動尊へは必ず立ち寄って参拝してきました。

かつては大所帯で八十年以上の歴史を重ねてきましたが、最近は高齢化だけでなく車イスも必要になり、今回の高野山は2台の車イスと同行する参拝となっており、運転手の私だけでなく家内の介助も必要になってきました。

四国遍路も参拝時は午前中は何も口に入れてはならず、帰宅する最終日の午後にならないと買い食いやお土産も購入できない厳しい巡礼でしたが、最近は私が良いと言えば代表から許しがでるようになりました。

そんな訳で、奥の院一の橋にある「あゝ同期の桜」の塔に立ち寄り、私個人が尊敬する鶴田浩二さんのお墓に参拝する間も全員で待っていただけるようになり、志賀弘法会の高野山の巡拝日程にも入っています。

時々ですが参拝中に、高野山を案内するガイドさんから「この奥に鶴田浩二の墓があります」との声が聞こえることがありますが、敬称の有無は別にしても、お墓は指さすものではなく手を合わせるもののため、せめて「合掌」でも薦めて欲しいものです。

奥の院には戦国武将から有名人のお墓も奉られていますが、「織田信長の墓」とか「上杉謙信」と敬称もなく呼び捨てにされるのを耳にすると、慰霊のために建てられた先人のお墓がないがしろにされているようで一抹の寂しさを感じさせられます。

明日は金堂で催されていた弘法大師生誕1250年法会や、壇上伽藍、御社、六角経蔵、宝亀院の参拝を貼付する予定です。

羽島市歴史民族資料館と観光交流センター

 羽島市歴史民俗資料館

 はしま観光交流センター ぐるっと

 円空仏風 木彫り護法神

美濃縞の手織り機

糸巻き機 

ぐるっと 

 歴史民俗資料館正面

 羽島市映画資料館

玄関 

 名鉄関係グッズ

資料館館内

旧竹鼻駅の写真

 駅全景

 開業当時の新幹線羽島駅

 資料館内部

漁具の 点字

円空仏 

昔の映写機 

写真暗室道具やカメラ 

竹鼻東映 

映画鑑賞ホール 

上映された映画のポスター 

 鶴田浩二終焉のポスター
昨日の写真です。

 昨日訪れた羽島市の歴史民俗資料館と観光交流センターぐるっとの写真です。

最初に訪れたぐるっとの1階には地域の名産品が売られており、2階には木綿の糸巻き機や、美濃縞の手織り機が置かれ、女性スタッフが案内や説明をされていました。




私の祖母たちが若い頃は、自宅前の小屋で機織りをしていたと聞きましたが、毛織物の産地であった津島市にはそれらを伝承する資料館が存在しません。


羽島市には歴史民俗資料館が存在し、かつての生活環境や漁具や農機具が展示されており、交流センターでは実際に機織り機が展示され実践できる女性スタッフが案内されていました。


さて、資料館の2階には映画資料館が存在し、かつて使用された映写機やカメラが展示されており、映画スターや俳優の映ったポスターが展示されています。





ここでは、毎月第2土曜日に一日2回、映画を上映しており、私が大好きな鶴田浩二さん主演の映画も昨年上映されていましたが、当面は鶴田さんが出演する映画の上映はないそうです。残念(笑)


私が議員時代に津島市にも歴史資料館を建設するよう質問したことがありましたが、当時の市長は「そんなもん造ってもガラクタの物置場になってしまう」と全く関心も示されませんでした。


木曽三川を挟んだ岐阜県側では地域の歴史やかつての生活環境を記録する資料館が点在していますが、羽島市の映画資料館の上映と美濃縞の機織り機は現役で稼働しており、市民参加型の施設だけに継承されていくことに期待したいものです。


高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓へ

高野山奥之院 一の橋

奥の院(弘法大師御廟)へ続きます

左を見ると…

白い大きな塔が…

あ、同期の桜

同期の桜の塔


高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。


毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。


その後方右を見ると…

鶴田浩二さんのお墓です

小野家は鶴田さん(母方)の姓

大円院の住職と鶴田さんの夫人が建立されました

鶴田さんのお墓と同期の桜の塔

今年の18日は大雪となりました。

私の誕生日と大雪の高野山参拝は記憶に残る一日となりました。


高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓ですが、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄っているものの、今年は10月に予定していた弘法会の高野山参拝が中止になったため、半ば諦めていましたが何とか年内に訪れることができました。

さて、昭和62年に亡くなられた鶴田さんには、東京都の港区にある父方「大島家」と練馬区に母方「小野家」のお墓があり、神奈川県の鎌倉霊園には生前の本人の希望から夫人によって建立された本人のお墓があります。

この高野山のお墓は、高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢が鶴田浩二と同期の桜であったことから、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かっており、先に逝った戦友と三途の川原でいつでも話し合えることと夢みていたことから、鶴田さんの死後夫人によって建立されました。

お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。

2021-11-26

高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)

2017年04月03日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)


今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。


仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。

2014年10月21日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)


初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み

2008年05月29日

大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)


平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。


生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。


鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。

                        12月20日の一言


雪の金剛峯寺と奥の院 高野山

雪の高野山へ


高野町へ

中門

金剛峯寺の門前

軽自動車で来ました

参道


鐘楼

本堂

奥之院へ移動します

中の橋入口

奥之院への参道



ここからはカメラ禁止です

御廟






奥之院一の橋

ああ同期の桜の碑



鶴田浩二さんのお墓


慈尊院

ゴンの碑

丹生官省符神社への石段

鳥居

本殿

降ります

大師堂
本日の写真です。

本日は朝8時に愛知県を出発して、西名阪自動車道から国道25号、天理市から京奈和自動車道へ入り、かつらぎ西インターから高野山を目指しました。

道路は途中から真っ白となり、高野山が近づくと凍結状態となりました。

高野山の大門から中門の道路はツルツルの状態となり、金剛峯寺、奥の院御廟へ参拝を済ませました。

本日は一の橋にある同期の桜の塔に手を合わせ、私の尊敬する鶴田浩二さんのお墓にお参りしてから高野山を降りました。

本日は九度山町の慈尊院へ参拝を済ませ、これから橿原神宮の近くまで移動します。

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